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鞠智城跡

熊本県 · 山鹿市 · 建築

Kikuchi Fortress / 鞠智城跡

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鞠智城跡
写真:YAPON at Japanese Wikipedia / Public domain · 出典 ↗
WHAT TO DO鞠智城跡

白村江の敗戦後、大陸からの侵攻に備えて築かれた山城。八角形の楼が復元されている。国の史跡。

WHERE熊本県

熊本 · 山鹿市

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概要

白村江の敗戦後、大陸からの侵攻に備えて築かれた山城。八角形の楼が復元されている。国の史跡。

解説

鞠智城(きくちじょう/くくちのき)は、熊本県の山鹿市と菊池市にまたがる台地状の丘陵に築かれた、日本の古代山城。城跡は、2004年(平成16年)2月27日、国指定の史跡「鞠智城跡」に指定されている。 『続日本紀』に、「大宰府をして大野(おおの)、基肄(きい)、鞠智(くくち)の三城(みつのき)を繕治せしむ」と、記載された城である。 鞠智城は、『続日本紀』に記載された文武天皇2年(698年)の城の修復記事が初見で有る。発掘調査では少なくとも7世紀後半 - 10世紀半ばまで300年、存続した事が判明している。そのため、白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に大敗した後、大和朝廷が倭(日本)の防衛のために築いた水城・大野城・基肄城と、ほぼ同時期に築かれたと考えられている。また、八角形建物跡や銅造菩薩立像の出土などは、百済からの亡命者が関与したことが窺える。 鞠智城は、標高約90 - 171メートルの米原台地に所在する。城壁の周長は、自然地形の崖を含めて約3.5キロメートル、城の面積は約55ヘクタールである。直線距離で大宰府の南、約62キロメートルに位置し、古代山城では最も南にある城である。また、有明海に注ぐ菊池川の河口の東北東、約30キロメートルの内陸部で、流域は肥沃な平野が広がる。城の南側は、古代官道が推定されている交通路の要衝に位置する。 発掘調査では、国内の古代山城で唯一の八角形建物跡2棟(2棟×2時期)・総計72棟の建物跡・3か所の城門跡・土塁・水門・貯水池などの遺構が確認されている。また、貯水池跡では、付札木簡と百済系の銅造菩薩立像が出土している。 鞠智城の築城当初は、大宰府と連動した軍事施設で、大野城・基肄城などとともに北部九州の防衛拠点であり、兵站基地や有明海からの侵攻に対する構えなどが考えられている。そして、修復期以降は、軍事施設に加えて、食料の備蓄施設の拠点、南九州支配の拠点などの役割・機能などが考えられている。 鞠智城は、7世紀末の律令制の導入時に、役所機能のある肥後北部の拠点に改修されたと考えられている。発掘調査で大宰府と連動した施設の改修と変遷が確認された特異な城跡である。また、他の古代山城は国府の近くに所在するが、鞠智城は城自体が役所機能を有するなど、特殊な古代山城といえる。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建・開館:7世紀 代表作・所蔵:八角形の鼓楼、古代の山城 ジャンル:建築、古美術・仏教美術

出典 ja.wikipedia.org ↗

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出典 kofunkan.pref.kumamoto.jp ↗

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