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島原城

長崎県 · 島原市 · 建築

Shimabara Castle / 島原城

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島原城
写真:663highland / CC BY 2.5 · 出典 ↗
WHAT TO DO島原城

この城の普請の負担が島原の乱の一因になった。いまはキリシタン弾圧の資料館になっている。

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概要

この城の普請の負担が島原の乱の一因になった。いまはキリシタン弾圧の資料館になっている。

解説

島原城(しまばらじょう)は、長崎県島原市城内にあった日本の城。別名は「森岳城」や「高来城」。城跡は国の史跡に指定されている。 有明海に臨み、雲仙岳の麓に位置する。城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城で、高く頑丈な石垣が特徴である。本丸は周りを水堀で囲まれており、二の丸と廊下橋形式の木橋一本で繋がれている。橋を壊せば本丸を独立させることが出来るが、逆に袋の鼠状態になり、しかも廊下橋は防備上、矢玉が当たりにくくなるので、縄張の欠陥とも言える。同じ事例に、高松城の天守曲輪(本丸)がある。また、天守は破風を持たない独立式層塔型5重5階(初重の屋根を庇として4重5階とも)で最上階の廻縁高欄を後に戸板で囲ったため「唐造り」のようになっていた。 江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、総石垣で天守と櫓49棟を建て並べた。火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、続く松倉勝家の代に領民の一揆を引き起こす一因となった。 明治以降は廃城処分となり建物などは撤去され、現在は本丸に天守・櫓・長塀が復興され、また、天守閣を資料館にして、各毎階に「キリシタン史料」「郷土史料」「民俗史料」違う歴史と資料を展示している。 石垣と堀は江戸時代から残っている。堀では1950年代まで農家が栽培していたレンコンが根付いており、秋にレンコン掘り大会が開かれていたが、コロナウイルス感染対策により、現在は開催されていない。 元々今村(今の島原市新山)に島原城を築こうとした松倉だったが、『島原大変記』の「仏神のお告げ」のエピソードによると、夢に「今村より北に森丘という山がある。そこは将来繁栄する城地である」と告げられ、今の島原城となったのである。また、この決定により島原大変では島原城自体の被害がほとんどなく、『島原大変記』では大きく評価された。 1616年(元和2年) - 有馬直純が日向国延岡藩に転封になり、代わって大阪の陣での戦功により、松倉重政が有馬氏の居城であった日野江城に入城する。 1618年(元和4年) - 有馬の政治を一新及び幕府の命よりキリシタンの取り締まりのため島原城の築城を開始し、7年後に完成。 1637年~1638年(寛永14年~15年) - 初代重政、2代勝家の圧政により島原の乱が起こる。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建・開館:1624年 代表作・所蔵:キリシタン資料の展示、高石垣と堀 ジャンル:建築、古美術・仏教美術

出典 ja.wikipedia.org ↗

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