概要
キリシタン大名・大友宗麟が開いた町。教会と病院が建ち、南蛮文化が最も早く入った都市のひとつ。
解説
大友 義鎮(おおとも よししげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。大友氏の21代当主。宗麟(そうりん)の法号で知られている。キリスト教にも受洗、洗礼名は、ドン・フランシスコ。中国明朝との外交では「豊後太守源義鎮」、カンボジア国王からは「日本九州大邦主」、ポルトガル国王からは「Rey de BVNGO」(豊後の王)と称された。 父は20代当主・大友義鑑。母は公家の坊城氏の娘とする説がある。 弟に大内義長、塩市丸、親貞など。子に義統(吉統)、親家、親盛など。 中国明朝への遣明船の派遣をはじめ、琉球、カンボジア、ポルトガルを相手とした海外貿易による経済力、優れた武将陣、巧みな外交により版図を拡げ、大内氏や毛利氏をはじめとする土豪・守護大名などの勢力が錯綜する戦国時代の北九州東部を平定した。 歴代当主同様に禅宗に帰依するとともに、後にキリスト教への関心も強めて洗礼を受けた。最盛期には九州6か国を支配して版図を拡げた。しかし、薩摩から北上した島津義久に敗れ、晩年には豊臣秀吉傘下の一大名となった。 大友氏は鎌倉時代から南北朝時代にかけて、少弐氏・島津氏と共に九州の幕府御家人衆の束ね役として権勢を振るい、室町時代に入ってからは大内氏の九州進出に対し、少弐氏と結び大内氏と抗争していた。大友氏は豊後国と筑後国の守護に幕府より代々補任される、いわゆる守護大名であった。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:16世紀 代表作・所蔵:大友宗麟の城下、南蛮寺の跡 ジャンル:建築、古美術・仏教美術
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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