概要
平安初期の如意輪観音は、六臂で片膝を立てる官能的な姿。彩色が残る密教彫刻の代表作で、年に2日だけ公開される。
解説
観心寺(かんしんじ)は、大阪府河内長野市寺元にある高野山真言宗の遺跡本山の寺院。山号は檜尾山。本尊は如意輪観音。新西国三十三箇所客番札所。大阪みどりの百選に選定されている。また日本遺産「中世に出逢えるまち 〜千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫〜」の構成文化財のひとつでもある。 寺伝によると、大宝元年(701年)に役小角(役行者)によって創建されたという。当初の寺名は雲心寺と称したとされている。 その後、大同3年(808年)に空海がこの地を訪れ、北斗七星を勧請したという。これにちなむ7つの「星塚」が現在も境内にあり、立体の七星如意輪曼荼羅を構成している。なお、北斗七星を祀る寺は日本では観心寺が唯一である。 弘仁6年(815年)に空海は再度この地を訪れると自ら如意輪観音像を刻んで安置し、「観心寺」の寺号を与えたという。また、当寺は空海が高野山を開くための拠点として整備したという。 「空海が自ら刻んで」云々の話は伝承の域を出ないが、現在金堂本尊として安置されている如意輪観音像は様式的に9世紀の作品とされている。また、観心寺には奈良時代にさかのぼる金銅仏4体が伝来することから、奈良時代草創説もあながち否定はできない。 当寺の実質的な開山とみられるのは、空海の一番弟子にあたる実恵(道興大師)である。『観心寺縁起資財帳』(国宝)などによると、実恵は淳和天皇の命を得て、天長4年(827年)に実恵の意を受けた弟子の真紹とともに造営を始めたようである。なお、年次に関しては天長2年(825年)とする異説もある。承和3年(836年)には石川郡東坂荘が勅によって施入されたと伝えられている。鎌倉時代の末期には塔頭50か寺以上を誇る大寺院となっていた。また、真言行者の高野山と京都の中宿として栄えた。 当寺は楠木氏の菩提寺であり、楠木正成および南朝ゆかりの寺としても知られている。建武元年(1334年)頃に後醍醐天皇により楠木正成を奉行として金堂の外陣造営の勅が出され、正平年間(1346年 - 1370年)に完成している。正平14年(1359年)12月から翌正平15年(1360年)9月まで後村上天皇の行宮となっている。また、境内には後村上天皇桧尾陵がある。 境内にある建掛塔(たてかけとう)は、一見、普通の仏堂のように見えるが三重塔の一重目だけが完成したもので、未完成の建築物である。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:701年 代表作・所蔵:国宝 金堂、国宝 如意輪観音坐像、楠木正成ゆかり ジャンル:建築、彫刻、古美術・仏教美術
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