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鹿野の城下町

鳥取県 · 鳥取市 · 建築

Shikano Castle Town / 鹿野の城下町

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鹿野の城下町
写真:Satoshin / CC BY-SA 3.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO鹿野の城下町

亀井氏が作った城下町。碁盤目の道と水路が残り、町屋の格子が続く。

WHERE鳥取県

因幡(東部) · 鳥取市

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概要

亀井氏が作った城下町。碁盤目の道と水路が残り、町屋の格子が続く。

解説

鹿野城(しかのじょう)は、鳥取県鳥取市鹿野町鹿野(因幡国気多郡)にあった日本の城(平山城跡)。鳥取市指定史跡。 城の創建年代は不明であるが、因幡の国人領主・志加奴氏(鹿野氏)が居住していたと言われる。 『陰徳太平記』によれば、1544年(天文13年)初夏、因幡に侵攻してきた尼子晴久によって攻撃され、城主の鹿野入道以下300余名が討ち死にしたという。 1563年(永禄6年)には武田高信の攻撃を受けた因幡守護・山名豊数が守護所である布勢天神山城を捨てて鹿野城に退いている。 1580年(天正8年)羽柴秀吉による第1次鳥取城攻撃の際に織田方の城となり、尼子家の旧臣亀井茲矩が守将となった。茲矩は本能寺の変後に秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは東軍に属して加増され、都合3万8,000石の領主として近世大名となった(鹿野藩)。この過程で、鹿野城は近世城郭へと改築された。 亀井茲矩は朱印船貿易を行っていたため、天守以下の櫓や門に仏教に由来する名称を付けていたと言われる。さらに自らの居城(鹿野城)を王舎城(おうしゃじょう)、城下町を鹿野苑(ろくやおん)、城の背後にそびえる山を鷲峰山(じゅぶせん)、城下を流れる川を抜堤川(ばったいがわ)と名付けている。また、城の改築にあたり、亀井家略紋(丸に一つ引)の入った瓦を使用している。 1617年(元和3年)、茲矩の嫡子政矩は津和野藩へ転封される。 1617年(元和3年)、池田光政の鳥取入府に伴い、家老・日置忠俊が城主となる。1628年(寛永5年)には鹿野城下の火災によって城の一部が焼ける被害に遭った。このとき、亀井茲矩が朱印船貿易で入手した香木で作らせた「唐木の小座敷」と呼ばれる一室が焼失したという。1640年(寛永17年)から1662年(寛文2年)にかけては播磨国宍粟騒動で改易された山崎城主・池田輝澄が堪忍料一万石で鹿野城下の光輪寺に居住した(当時の庭が残っている)。その後、1632年(寛永9年)に入部した池田光仲によって代官・佐藤知之が派遣されたが長くは続かず、『鹿野筆縋』によれば1644年(正保元年)2月に城の破却が行われたという。 1868年(明治元年)、鳥取池田家の支藩(新田藩)である東館新田藩3万石の藩庁が鹿奴(鹿野)陣屋に置かれ、同藩は鹿奴藩の名称で呼ばれることになる。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建・開館:1580年代 代表作・所蔵:水路の走る町割り、武家屋敷の跡 ジャンル:建築

出典 ja.wikipedia.org ↗

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