概要
平安から鎌倉の仏像が18躯まとまって残る。中央の仏師の作が地方にこれだけ残るのは珍しい。国の史跡。
解説
慈恩寺(じおんじ)は、山形県寒河江市にある仏教寺院で、現在は慈恩宗の本山。山号は瑞宝山。宗教法人としての登録名は「本山慈恩寺」。 行基によって見い出され、聖武天皇の勅によって創建したとされる。その後、鳥羽天皇の勅で再建され、後白河法皇と源頼朝によって山号を与えられた。平安時代は荘園領主である藤原摂関家から、鎌倉時代から室町時代にかけては地頭・寒河江大江氏の庇護を受け、寒河江大江氏が滅ぶと最上氏や江戸幕府によって寺領を認められた。 江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、院坊の数は3ヵ院48坊に達した。修験による祈願寺として御朱印地を拝領していたため檀家を持たず、明治の上知令により一山は困窮して帰農する坊が続出した。現在は3ヵ院17坊を伝える。 本尊は弥勒菩薩で、脇侍として地蔵菩薩、釈迦如来、不動明王と降三世明王を配する日本国内でも珍しい五尊形式である。創建当初は八幡大菩薩を鎮守神として祭っていたが、時代の変化とともに法相宗、真言宗、天台宗を取り入れ、現在は天台宗真言宗兼学の一山寺院として慈恩宗を称する。 境内地は周囲の中世城館群や行場などとともに2014年10月に国の史跡に指定された。 慈恩寺は山形盆地葉山の山裾の、寒河江川扇状地より一段高い段丘上に位置する。院坊屋敷地と境内地は概ね東西700m、南北200mの範囲に収まる。扇状地辺縁は標高約125mで仁王坂を上ると標高約146m、参道を160m進むと標高156mとなる。参道の階段が比高差約13mあり、山門は標高169mに位置する。山門をくぐると階段があり、本堂が位置する平坦地は概ね標高172mである。参道付近の院坊屋敷地は東側が標高180mの尾根に囲まれており、西へ行くに従って緩やかに下るが、田沢川によって隔絶される。つまり、南は比高差20m以上の崖地、東は標高180mの尾根、西は田沢川、北は葉山の山塊に守られている。さらに、この外側に結界を守る4つの神社があり、西は史跡に含まれる八面大荒神(はちめんだいこうじん)、東は箕輪の折居権現、南は八鍬の鹿島神社、北は白山権現である。この結界は東西2.1km、南北3.6kmに及ぶ。 伝承によれば、神亀元年(724年)に行基がこの地を選び、天平18年(746年)に聖武天皇の勅により婆羅門僧正菩提僊那が寺院を建立したのに始まるとされる。山号を寒江山とし、大慈恩律寺と称した。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:746年(伝) 代表作・所蔵:重要文化財の仏像18躯、弥勒菩薩坐像 ジャンル:古美術・仏教美術、彫刻
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