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周防大島の民具と宮本常一

山口県 · 周防大島町 · 博物館・記念館

Suo Oshima and Tsuneichi Miyamoto / 周防大島の民具と宮本常一

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周防大島の民具と宮本常一
写真:逓信協会 撮影者不明 / Public domain · 出典 ↗
WHAT TO DO周防大島の民具と宮本常一

日本中を歩いて記録した民俗学者・宮本常一の郷里。彼が撮った10万枚の写真が、失われた生活の記録になっている。

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東部 · 周防大島町

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概要

日本中を歩いて記録した民俗学者・宮本常一の郷里。彼が撮った10万枚の写真が、失われた生活の記録になっている。

解説

宮本 常一(みやもと つねいち、1907年8月1日 - 1981年1月30日)は、日本の民俗学者・農村指導者・社会教育家。 山口県屋代島(周防大島)生まれ。大阪府立天王寺師範学校(現在は大阪教育大学)専攻科地理学専攻卒業 。 柳田國男を読み、民俗学徒として立つ決心をする。その後渋沢敬三に誘われてアチック・ミューゼアムに入り、本格的に民俗学の研究を行うようになった。 1930年代から病没する直前まで、生涯に渡り日本各地をフィールドワーク(1200軒以上の民家に宿泊したと言われる)を行い、膨大な記録を残した。宮本が残した調査記録の相当部分は別集も含め、長年にわたり刊行した『宮本常一著作集』(未來社)で把握できるが、未収録の記録も少なくない。 宮本の民俗学は、非常に幅が広く後年は観光学研究のさきがけとしても活躍した。民俗学の分野では特に生活用具や技術に関心を寄せ、民具学という新たな領域を築いた。 宮本は自身の民俗学に対する姿勢について、以下のように述べている。 宮本の学問はもとより民俗学の枠に収まるものではないが、民俗学研究者としては漂泊民や被差別民、性などの問題を重視したため、柳田國男の学閥からは無視・冷遇された。 益田勝実は宮本を評し、柳田民俗学が個や物や地域性を出発点にしつつもそれらを捨象して日本全体に普遍化しようとする傾向が強かったのに対し、宮本は自身も柳田民俗学から出発しつつも、渋沢から学んだ民具という視点、文献史学の方法論を取り入れることで、柳田民俗学を乗り越えようとしたと位置づけている。 1907年(明治40年) - 山口県周防大島東和町の農家に生まれる。生家は善根宿でもあった。 1922年(大正11年) - 16歳、西方小学校を卒業後、家を継いで百姓となるが、夜は勉強を続けた。 1923年(大正12年) - 父の勧めで大阪の叔父の世話になり大阪逓信講習所に入所。 1924年(大正13年) - 大阪逓信講習所卒業、4月高麗橋郵便局に勤務。 1926年(大正15年) - 大阪府立天王寺師範学校第二部入学。 1927年(昭和2年) - 大阪府立天王寺師範学校卒業、泉南郡有真香村修斉尋常小学校(現・岸和田市立修斉小学校)に赴任する。 1928年(昭和3年) - 大阪府立天王寺師範学校専攻科入学。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建・開館:1900年代 代表作・所蔵:宮本常一の写真と記録、島の民具 ジャンル:写真、民藝

出典 ja.wikipedia.org ↗

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