本文へ移動
日本国内の地域・文化・観光資料 / 営業日や料金などは掲載元の最新情報をご確認ください。

Value Village

蚶満寺

秋田県 · にかほ市 · 神社・寺

Kanmanji / 蚶满寺

この資料を保存・計画
地図で見る →AI旅程を考える
蚶満寺
写真:掬茶 / CC BY-SA 4.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO蚶満寺

芭蕉が訪れた象潟の寺。かつては海に浮かぶ島々の景勝地だった。

WHERE秋田県

由利 · にかほ市

CHECK BEFORE YOU GO訪問前に確認

営業日、料金、予約、撮影可否、季節条件は公式情報で確認してください。

Instagram で見る

この場所の名前のハッシュタグ。押すと Instagram のタグ一覧が新しいタブで開きます。

概要

芭蕉が訪れた象潟の寺。かつては海に浮かぶ島々の景勝地だった。

解説

蚶満寺(かんまんじ)は、秋田県にかほ市に所在する曹洞宗の寺院。山号は皇宮山、本尊は釈迦牟尼仏。 古くから文人墨客が訪れた名刹として知られ、元禄2年(1689年)には松尾芭蕉が訪れ、『奥の細道』に と紹介した。 仁寿3年(853年)に天台座主円仁(慈覚大師)の開創と伝えられる。蚶方(きさかた)の美景と神功皇后の伝説によりこの地を風水などで占い、皇后山干満珠寺と号したという。 神功皇后の伝説とは、神功皇后が三韓征伐の帰路、大シケに遭って象潟沖合に漂着し、小浜宿禰が引き船で鰐淵の入江に導き入れたが、そのとき皇后は臨月近かったので清浄の地に移したところ、無事に皇子(のちの応神天皇)を産み終えたという『蚶満寺縁起』所載の伝承。その後、象潟で半年を過ごし、翌年の4月、鰐淵から出帆し、筑紫の香椎宮に向かったという。蚶満珠寺の名は、干珠・満珠を皇后が持っていたことに由来するとされる。 ただし、『古寺名刹大辞典』(1992)では、のちに真言宗に転じ、カンマン(不動明王の真言の一部)という梵語より寺号がおこったという説もあることを紹介している。 正嘉元年(1257年)8月、鎌倉幕府5代執権・北条時頼(最明寺入道)が象潟を訪れて、「四霊の地」と定め20町歩の寺領を寄進し再興している。 天正15年(1587年)1月(『古寺名刹大辞典』(1992)では、この年を文禄元年(1592年)としている)、地元の金又左衛門(こん・またざえもん)らの懇請によって、松ヶ崎(秋田県由利本荘市)光禅寺九世栄林示幸が、光禅寺の開山直翁呈機を開祖に勧請して曹洞宗に改めた。 江戸時代になって仁賀保院内(にかほ市)の禅林寺との間に本末争論が起きたが、元禄9年(1696年)に加賀大乗寺(石川県金沢市)の預かり末寺となって解決した。 江戸時代の蚶満寺は、十五世の無学絶宗の時に僧堂を開いたといわれ、多くの名僧を得て、曹洞宗の叢林として「羽海法窟」の名を天下に高めた。 1901年(明治34年)8月11日、閑院宮載仁親王が御成。なお閑院宮は後に「九十九島の碑」を揮毫した。 1934年(昭和9年)5月18日、東伏見宮周子妃が御成。この際、展望台が新設された。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建:853年(伝) ご利益:厄除け

出典 ja.wikipedia.org ↗

旅の前に知っておくこと

世界の質問箱から、この資料に関係する疑問を3つ。

同じ県の神社・寺

この分類をすべて見る

訪問前の確認・参考資料

原資料を掲載しています。営業時間、見学可否、料金、交通は最新の公式情報で確認してください。

この県の工芸・名品

工芸・ものづくり特産品・お土産

この記述はValue Villageが公開情報をもとに自分で書き起こしたものです。転載はしていません。 対応言語:ja / en / zh

秋田県の Instagram 投稿(公式アカウントより)

この場所に結びついた投稿はまだありません。県の公式アカウントの投稿を毎分入れ替えて表示しています。