概要
津軽藩が建てた東照宮。本殿は重要文化財。
解説
弘前東照宮(ひろさきとうしょうぐう)は、青森県弘前市笹森町に鎮座する神社(東照宮)である。旧県社。法人名は東照宮。 徳川家康公と天照大神を祀る。前者は東照大権現とも号す徳川家康の神号である。 弘前藩第2代藩主の津軽信枚が天海を通じて幕府に日光東照宮から東照大権現の神霊を迎える事を願い出、元和3年(1617年)に弘前城天守の傍らに東照大権現を勧請した事に創まるが、この勧請は御三家を始めとする徳川家一門や他藩に先行する最初の東照宮の勧請であり、信枚の正室で祭神の養女であった満天姫が養父である祭神に孝養を尽くそうという願いに発したものという。その後寛永元年(1624年)に弘前城の北東に位置する現在地に遷座され、同5年(1628年)に社殿を造営、天台宗東照院(後の薬王院)を別当と定めると共に同院の子院6坊を社僧にし、また別に神職2家(桃井和泉守、山辺丹後守)を配して祭祀を司どらしめた。『津軽一統志』によれば薬王院に200石、社僧と神職には各15石が給され、その神事は存命中は満天姫がこれを差配したが、寛永15年(1638年)の姫歿後は別当たる薬王院が管掌する事となった。なお、天和3年(1683年)の時点で薬王院の子院は6坊から12坊に増加し、神職は禰宜3名であったが、この時期に別当・社僧と神職による体制がほぼ固まったようである。 創祀以来藩直轄の神社とされて、藩主も度々社参する等尊崇され、明和2年(1765年)4月には「東照宮百五十年忌」が斎行された他、文政元年(1818年)には拝殿が建立され、第9代藩主・寧親の時代には社殿の改築が行われている。 明治初年に廃祠とされそうになったが明治3年 (1870年)に住民の希望で神仏判然令により別当薬王院と分離しつつ復興され、 同12年 (1879年)に郷社列格、翌々14年11月に県社に昇格した。なお、薬王院は明治5年に廃寺となったが、同10年に当宮の隣に再建された。戦後の昭和21年(1946年)に神社本庁に参加する宗教法人となった。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建:1617年 指定:重要文化財 ご利益:勝運
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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