概要
阪神タイガースが必勝祈願に訪れる。コバノミツバツツジの群落。
解説
廣田神社(ひろたじんじゃ、広田神社)は、兵庫県西宮市大社町にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 主祭神 - 天照大神荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと))。伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と同体。 脇殿神 - 住吉大神、八幡大神、武御名方大神、高皇産霊神。 『日本書紀』に当社の創建のことが書かれている。神功皇后の三韓征伐に出発する際、天照大神の神託があり、和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうと言った。皇后の留守の間に忍熊王が神功皇后とお腹の中にいる皇子(後の応神天皇)を亡きものにしようと明石で待ち伏せていた。戦いを終え、帰途それを知った神功皇后は、紀淡海峡に迂回して難波の港を目指した。しかし、難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。そこで兵庫の港に向かい、神意をうかがうと、天照大神の託宣があった。「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い。」と。そこで皇后は、山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀られた。これが廣田神社の創建である。このとき、生田神社・長田神社・住吉大社に祀られることになる神からも託宣があり、それぞれの神社の鎮座が行われた。すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王を退治することができた。 朝廷より篤い崇敬を受け、貞観10年(868年)に従一位に叙せられた。『延喜式神名帳』では名神大社に列し、白河天皇の時代には二十二社の一社とされ、たびたび奉幣勅使の派遣があった。平安時代後期より、神祇伯白川家との関係が深く、代替わりのごとに当社に参詣していた。中世には和歌の神として信仰されるようになり、社頭にて何度か歌合せが行われている。 元暦元年(1184年)、源頼朝が当社に平氏の討伐を祈願して淡路国・広田荘を寄進している。慶長9年(1604年)には豊臣秀頼によって大規模な社殿の改築が、末社の戎社(現・西宮神社)共々行われている。 当初は甲山山麓の高隈原に鎮座し、後に御手洗川のほとりに遷座したが、水害のため享保9年(1724年)に江戸幕府将軍の徳川吉宗により廣田山の地に遷座した。 1871年(明治4年)には官幣大社に列格した(兵庫県で最初。伊弉諾神宮は1931年(昭和6年)に列格。
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創建:201年(伝) ご利益:勝運
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