概要
平敦盛の遺品を伝える。源平の合戦の記憶が残る。
解説
須磨寺(すまでら)は、兵庫県神戸市須磨区須磨寺町にある真言宗須磨寺派の大本山の寺院。山号は上野山(じょうやさん)。本尊は聖観音。新西国三十三箇所第24番札所。正式名称は福祥寺である。 当寺に伝わる「須磨寺略歴縁起」によると、平安時代の初めに漁師が和田岬の沖で聖観音像を引き上げた。その聖観音像を安置するために淳和天皇の勅命によって恵偈山北峰寺が建立された。そして仁和2年(886年)に光孝天皇の勅命によって聞鏡上人が現在の地に上野山福祥寺を建立し、北峰寺よりその本尊である聖観世音菩薩像を遷して福祥寺の本尊としたのが当寺の始まりであるとされている。しかし、「当山歴代」(兵庫県指定有形文化財)によれば、本尊の聖観世音は嘉応元年(1169年)に源頼政によって安置されたものであるとしている。 また、同年に頼政は寺領として所領3か所を当寺に寄進している。この頃の当寺は聖観世音菩薩・薬師如来を本尊としており房舎は12宇であった。 寿永2年(1183年)からの源平合戦(治承・寿永の乱)で縁起・記録類が散逸している。 寿永3年(1184年)2月7日にこの付近一帯で一ノ谷の戦いが行われ、源氏軍の熊谷直実が平家軍の平敦盛を討ち取っている。その後、当寺には敦盛の首塚が建立されている。 延文5年(1360年)に金堂・釈迦堂・鐘楼と33体の仏像の半分、経典、法具が大火によって消失した。その後、貞治4年(1365年)から再建が始められた。これより約50年かけて宮殿(応安元年(1368年)造、重要文化財)等の造営、整備が行われる。 応永34年(1427年)に赤松氏を攻めた細川氏によって本堂、惣門を残して境内が破壊されるが、翌応永35年(1428年)より復興が行われ、延徳2年(1490年)には三重塔が建立される。明応7年(1496年)には当寺の再興のために塔頭の大聖院住持・沙門弘源が勧進を行っている。 文亀2年(1502年)に寺山をめぐる争いが起こり、代官によって境内が破壊される。 大永6年(1526年)に講堂が上棟される。また、当寺は平敦盛ゆかりの寺として有名になっていたが、いつの頃からか青葉の笛を公開して笛見料を集めるようになっている。 文禄5年(1596年)閏7月13日の慶長伏見地震(文禄大地震)によって本堂や三重塔が倒壊している。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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創建:886年 ご利益:厄除け
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