概要
浦島太郎伝説の原型とされる山幸彦の神話に結びつく。初午祭では鈴をつけた馬が踊る。
解説
鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社。式内大社(国幣大社)、大隅国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。かつては「大隅正八幡宮」「国分八幡宮」などとも称されていた。 現在の祭神は次の通り。 天津日高彦火火出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと、山幸彦) 豊玉比売命(とよたまひめのみこと) - 天津日高彦火火出見尊の后神。 帯中比子尊(なかたらしひこのみこと、第14代仲哀天皇) 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后) - 仲哀天皇皇后。 品陀和気尊(ほむだわけのみこと、第15代応神天皇・八幡大神) 中比売命(なかつひめのみこと、仲姫命) - 応神天皇皇后。 相殿神4柱は八幡神を合祀した関係による。 創始は社伝によると遠く神代とも、あるいは「神武天皇の御代に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」とされる。和銅元年(708年)に現在地に遷座され、旧社地には現在摂社石体宮(石體神社)が鎮座している。当社の北西13kmの地点には、穗穗出見尊の御陵とされる高屋山上陵がある。 信頼できる史料での初出は、醍醐天皇の時に編纂された『延喜式神名帳』に「大隅国桑原郡 鹿児嶋神社」とあるもので大社に列しており、日向、大隅、薩摩のいわゆる南九州では最も格の高い唯一の式内大社(国幣大社)である。その高い社格から桑幡氏、税所氏などの有力国人をその神職より輩出した。 建久年間(1190 - 1199年)には社領2500余町歩の広さがあり、江戸末期まで千石を有していた。 大永7年(1527年)に兵火により焼失したため、天文20年(1551年)に後奈良天皇の綸旨を得て島津貴久は日秀上人に再興を命じ、永禄3年(1560年)12月13日に新造社殿に遷宮した。 戦国時代から江戸時代には、地元の大名である島津氏の尊崇を受けた。 1871年 (明治4年)、明治政府による近代社格制度において「鹿兒島神社」として国幣中社に列格する。 1874年(明治7年)に神宮号宣下及び近代社格制度において官幣中社に列し、1895年(明治28年)に官幣大社に昇格した。戦後は神社本庁の別表神社となった。 1935年(昭和10年)11月10日、陸軍特別大演習に参加中の昭和天皇が行幸。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建:不詳(古代) 社格:大隅国一之宮 指定:重要文化財 ご利益:安産、農業、延命長寿
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