概要
「真っ縦」と呼ばれる急坂を登る。三菱の岩崎弥太郎の母が日参した。
解説
神峯寺(こうのみねじ)は、高知県安芸郡安田町唐浜にある真言宗豊山派の寺院。竹林山(ちくりんざん)、地蔵院(じぞういん)と号す。本尊は十一面観音菩薩。四国八十八箇所第二十七番札所。 本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか ご詠歌:みほとけのめぐみの心神峯(こうのみね) 山も誓いも高き水音 真っ縦(まったて)と呼ばれる急な山道を登った神峰山の山頂付近に位置している。参道を上って仁王門までたどり着いても、そこからさらに約160段の石段を上る必要がある。札所の標高は424.2 m。 「土佐の関所」また「遍路ころがし」と呼ばれる屈指の難所として知られ、江戸時代には麓の前札所で遥拝し納経をすませる遍路もいたほどであった。しかし、車道の開設によって参拝も容易になっている。 神峯寺のすぐ上に大山祇命を祭神とする神峯神社が鎮座する。 寺伝によれば神功皇后が朝鮮半島進出の戦勝を祈願し天照大神を祀った神社が起源とされ、天平2年(730年)に聖武天皇の勅を受けて行基が十一面観世音菩薩を刻み、本尊として神仏合祀し開創したという。その後大同4年(809年)に空海(弘法大師)が堂宇を建立し「観音堂」と名付けたとされている。 その後、堂塔が多くあったが、元和年間(1615年 – 1624年)火災によりすべて焼失、その後、本堂と大師堂と鎮守社のみ再建され、十一面観音も麓にあって廃寺になっていた別当の神峯寺から納めて復調する。しかし、険しい山中の札所ゆえ別当になっていた麓の常行禅寺や前札所の養心庵(明治の神仏分離時点でどちらも廃寺)で遥拝し納経するものも多かった。なお、江戸末期、常行禅寺での納経帳に「奉納 本尊十一面観音 土州竹林山 神峯」と記されている。 幕末、三菱財閥創始者岩崎弥太郎の母は弥太郎の開運を祈願して現在の安芸市より片道20キロメートルの道のりを素足で三七日(21日間)通い続けた逸話がある。 明治初年の神仏分離令によって神峯神社だけが残り寺院としての部分は廃寺となり、本尊と札所は金剛頂寺に預けられ、金剛頂寺で納経をしていたが、1887年(明治20年)もとの憎坊跡に堂舎を建立し本尊と札所を帰還させ再興した。1912年(大正元年)には茨城県稲敷郡朝日村の真言宗地蔵院の寺格を移した。そして、昭和に入って、それまでの神峯から神峯寺と称するようになった。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建:天平期(伝) 社格:四国八十八ヶ所 第二十七番 ご利益:山岳信仰
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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