概要
越後国一之宮を称する社のひとつ。親鸞が上陸した地に近い。
解説
居多神社(こたじんじゃ)は、新潟県上越市五智にある神社。式内社、越後国一宮で、旧社格は県社。 社名「居多」は、『延喜式』神名帳を始め諸文献で見られる古くからの表記である。訓について『神祇志料』では「ケタ」、九条家本・武田家本・吉田家本では「ヰタ」、『神名帳考証』では「コタ」と見えるが、現在では「こた」と読んでいる。日本海沿岸に分布する気多神社の一社として古代には「けた」と呼ばれたとされ、「こた」「ゐた」と呼ばれるのは後世になってからと考えられている。 なお「居」を「け」と読ませる古例では、古くは5世紀末の稲荷山古墳出土鉄剣の「獲居(わけ)」の銘がある。 現在の祭神は次の4柱。 大国主神(おおくにぬしのかみ) 奴奈川姫神(ぬながわひめのかみ) - 文献では「沼河比売」とも。大国主神の妻。 建御名方神(たけみなかたのかみ) - 大国主神の子。 事代主命神(ことしろぬしのみかみ) - 大国主神の子。 創建は不詳。『頸城郡延喜式神社考』では神代の古跡であると伝える。社地は、慶応2年(1866年)まで現社地の北西約1キロメートルの身輪山(みのわやま)に存在した。 前述(「社名」節)のように、居多神社は「気多神」を祀る神社と考えられており、兵庫県北部から新潟県にかけての日本海側に分布する気多神社の一社とされる(「気多大社#気多苗裔神」を参照)。この気多神は出雲の人々に信奉された神とされており、『古事記』での大国主神による高志国(越国;現在の北陸地方)の奴奈川姫命神への妻問い説話と同様に、気多神の分布は出雲勢力の北陸地方への進出を物語ると考えられている。 神社所蔵文書(伝『日本後紀』逸文)では弘仁4年(813年)に「居多神」の神階が無位から従五位下に昇叙されたといい、その後神階は貞観3年(861年)に従四位下に昇叙された。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、越後国頸城郡に「居多神社」と記載され、式内社に列している。また、『朝野群載』の承暦4年(1080年)6月10日記事では「気多神」として記載が見えるほか、社伝では承元元年(1207年)に親鸞が越後国府に流罪になった際には居多神社に参詣したという。 南北朝時代以降は、居多神社は守護上杉家からの崇敬を受けて越後国の一宮に位置づけられたとされる。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建:不詳(古代) 社格:越後国一之宮 ご利益:縁結び
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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