概要
館山市にある神社。鳥居の先に富士山が見える日がある。
解説
洲崎神社(すさきじんじゃ/すのさきじんじゃ)は、千葉県館山市洲崎にある神社。式内社(大社)論社で、江戸時代に安房国一宮とされた。旧社格は県社。 御手洗山中腹に鎮座する。拝殿は「厄祓坂」と呼ばれる148段の石段の先にある。 祭神は次の1柱。 天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと) 安房神社祭神天太玉命の后神で、元の名を「洲ノ神(すさきのかみ)」と称する。 祭神の表記には、文献により以下のように異同がある。 『延喜式』神名帳による。鈴鹿連胤の『神社覈録』、教部省編纂の『特選神名牒』、洲崎神社配布の『参拝の枝折』などはこれに従う。 天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと) 神名帳よりも古い成立の『続日本後紀』、『日本文徳天皇実録』、『日本三代実録』による。『洲崎大明神由緒旧記』や『洲宮神社伝記』はこちらに従って祭神名を記載している。 この相違が起こったのは、元来正史にある天比理刀咩命と記すべきものを神名帳が誤って「刀」を「乃」と記載した為だとする説がある。 また『金丸家累代鑑』(慶長2年(1597年))に「安房郡洲宮村魚尾山に鎮座する洲宮后神社は、後に洲宮明神と称し、それを奥殿とし二ノ宮と曰う。また、洲崎村手洗山に洲崎明神あり、これを拝殿とし、一宮と曰う」とあることから、洲崎神社と洲宮神社は「洲の神」を祀る2社一体の神社で、洲崎神社が「洲の神」を祀る一宮、洲宮神社が「洲の神」を祀る二宮とされたとする説がある。 大同2年(807年)の『古語拾遺』によれば、神武天皇元年に神武天皇の命を受けた天富命が肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸し、そこを開拓した。その後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸したとされている。宝暦3年(1753年)に成立した洲崎神社の社伝『洲崎大明神由緒旧記』によれば、神武天皇の治世、天富命が祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を神体として、美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが洲崎神社の始まりであるという。 洲崎神社社伝によれば、養老元年(717年)大地変のため境内の鐘ヶ池が埋まり、地底の鐘を守っていた大蛇が災いしたので役小角が7日7夜の祈祷を行い、明神のご神託により大蛇を退治して災厄を除いたのだという。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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