概要
上京区の織物の産地。応仁の乱で西軍が陣を置いたことが地名の由来。
解説
西陣(にしじん)とは京都府京都市上京区から北区にわたる地域の名称。「西陣」という行政区域はない。高級絹織物の西陣織発祥の地であり、織物産業が集中する地域である。 京都では5世紀から織物作りが行なわれており、平安時代には現在の西陣の南側に位置する黒門上長者町付近に織物職人が集っていたとされる。平安時代後半には「大舎人の綾」「大宮の絹」などと呼ばれる織物が作られ、また独自の重厚な織物は寺社の装飾に使用された。 「西陣」の名は、応仁の乱(1467–1477年)の際に西軍総大将である山名宗全らが堀川よりも西のこの土地に陣を構えたことに由来する。応仁の乱後には各地に離散していた織物職人が京都に戻り、西陣と呼ばれるようになったこの地で織物作りを再開した。 今出川通の大宮通と堀川通の間に西陣の史跡がある。西陣は日本で初めて映画館ができた場所である。今宮神社の今宮祭は西陣の祭礼として知られている。 1945年(昭和20年)6月26日午前9時頃、アメリカ軍のB-29により空襲。即死者43人、重軽傷者66人、建物の全半壊292棟(数字は集計時点でまちまち)。太平洋戦争中、京都市が受けた空襲のうち最大の被害。後に辰巳公園に被害の状況を伝える石碑が建立された。 2008年(平成20年)度の西陣織製品の出荷額は約818億円であり、465の業者が存在する。織機数は計4,783台(力織機が約3,600台、手機などが約1,200台)であり、直接または間接的に西陣織業に従事する人々は約30,000人である。 寛永15年(1638年)頃までは西陣組と呼ばれていた町組があり、その後は上西陣組(古町83組)と下西陣組(古町80組)に引き継がれた。これらの組と他地域との境界は複雑に入り組んでいるが、おおむねの範囲は、西限が七本松通、南限が一条通、東限が小川通、北限が上京区・北区の区境である。 享保2年(1717年)頃にまとめられた『京都御役所向大概覚書(きょうとごやくしょむけたいがいおぼえがき)』京都町奉行所の勤方の手引書(手配地域の状況とその権限)では、西陣の範囲を「東ハ堀川を限り、西ハ北野七本松を限り、北ハ大徳寺今宮旅所限り、南ハ一条限り、又ハ中立売通 町数百六拾八町」としており、堀川通・七本松通・鞍馬口通・一条通(または中立売通)に囲まれた範囲だったことがわかる。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
世界の質問箱から、この資料に関係する疑問を3つ。
みんなの投稿
行った人・住んでいる人からの訂正・体験談・営業時間・翻訳。確認のうえ掲載しています。
この場所について投稿する →同じ県の文化・歴史
訪問前の確認・参考資料
原資料を掲載しています。営業時間、見学可否、料金、交通は最新の公式情報で確認してください。
この県の工芸・名品
この記述はValue Villageが公開情報をもとに自分で書き起こしたものです。転載はしていません。 対応言語:ja / en / zh
京都府の写真
この資料に関連する地域の参考写真です。掲載施設・商品の写真ではありません。
拡大 ↗
拡大 ↗京都府の Instagram 投稿(公式アカウントより)
この場所に結びついた投稿はまだありません。県の公式アカウントの投稿を毎分入れ替えて表示しています。