概要
桑名市多度町にある神社。多度山を神体山として仰いできた。
解説
多度大社(たどたいしゃ)は、三重県桑名市多度町多度にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は国幣大社。現在は神社本庁の別表神社。別名は、北伊勢大神宮。 三重県では伊勢神宮・二見興玉神社・椿大神社に次いで4番目に参拝者数の多い神社である。 現在の祭神は次の通り。 祭神:天津彦根命(あまつひこねのみこと) 相殿:面足命(おもだるのみこと)、惶根命(かしこねのみこと) 祭神:天目一箇命(あめのまひとつのみこと) 本宮祭神の天津彦根命は、天照大神の第3子とされる神で、天津彦根命は当地の豪族・桑名首(くわなのおびと)の祖神である。天津彦根命が天照大神の御子神であることや参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われた。また、北伊勢大神宮・多度大神宮などとも呼ばれた。本宮と別宮は合わせて「多度両宮」と称される。 社伝では、雄略天皇の御代の創建と伝える。古代には、社殿背後の多度山を神体山としていた。763年(天平宝字7年)、僧・満願禅師によって神宮寺(現名称は法雲寺であるが現在は多度観音堂を残すのみ)が創建された。863年(貞観3年)、神階が正二位に累進した。延喜式神名帳では名神大社に列し、伊勢国二宮として崇敬された。神宮寺は伊勢国の准国分寺とされた。平安後期には伊勢平氏により崇敬され、軍神としても信仰された。後一条天皇の御代(1016-1036年)には、東海道六社(多度・熱田・浅間・三嶋・香取・鹿島)に数えられ大社として大神宝使が派遣される。1261年(弘長元年)、神階が正一位に累進した。 中世には国司・北畠氏が保護していたが、1571年(元亀2年)、織田信長の長島一向一揆平定の際に、命を受けた大垣城主氏家卜全により、多度大社の本宮並びに摂末社、神宝、古記録、多度大社の神宮寺であった宝雲寺(真言宗)の七十余りに及ぶである堂塔伽藍が全て焼きつくされ焼失した。その後1605年(慶長10年)に桑名藩主・本多忠勝により再建された。 続く松平氏が藩主の時代には、同多度町の愛宕神社(祭神:火之夜藝速男神)が、一目連神社、新宮社、雨宮八幡社に次ぐ第四別宮とされていた時代もあり代々寄進がなされた。 1873年(明治6年)、県社に列格し、1915年(大正4年)に国幣大社に昇格した。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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