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仁科神明宮神楽

長野県 · 大町市 · 自然・絶景

Kotai Shrine / 仁科神明宮神楽

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仁科神明宮神楽
写真:江戸村のとくぞう / CC BY-SA 3.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO仁科神明宮神楽

例祭に奉納される、能を取り入れた神楽。剣の舞など七座からなり、県の無形民俗文化財。

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概要

例祭に奉納される、能を取り入れた神楽。剣の舞など七座からなり、県の無形民俗文化財。

解説

仁科神明宮(にしなしんめいぐう)は、長野県大町市大字社字宮本にある神社。天照大神を奉祀している。1872年(明治5年)より郷社、1876年(明治9年)より府県社、1893年(明治26年)より県社となる。 古来、安曇郡一帯は諏訪神社と穂高神社との力が交々深く及んでいた地方であるが、神明宮に関する限り、創祀以来御祭神は御一座のままである。神明宮の創祀は皇大神宮御領であった仁科御厨の鎮護のため、仁科氏によって伊勢神宮内宮が勧請されたことに基いている。1192年(建久3年)8月、二所大神宮神主が職事の仰せによって神領の仔細を注進したものを編輯した「皇大神宮建久己下古文書」によれば、当時信濃国には僅かに麻績(東筑摩郡麻績村)・長田(長野市若穂)・藤長(長野市篠ノ井)及び仁科の四御厨しか現存せず、しかも仁科に限り「件御厨往古建立也、度々被下宣旨、所停止御厨内濫行也」と注記し、当時既にその創建の年次が不明であったと述べており、信濃で最古の御厨と推定される。信濃国内の御厨は後世の立荘も含めて全て伊勢神宮領であった。 神宮雑例集の記事によれば、信濃に初めて神戸が封ぜられたのは後冷泉天皇の1048年(永承3年)12月のことであるから、御厨の建立はそれ以後とみられる。国司から荘園整理の干渉を受けたが、宣旨により内宮の御厨となった。 その一方で、仁科氏は御厨以外の自領を荘園として開発し、仁科荘を成立させた。承久の乱において仁科盛遠が、後鳥羽上皇の帷握に参じ奉り、越中礪波山の戦いに戦死してから、所領は一旦幕府に没収するところとなり、改めて後堀河天皇の父・守貞親王に奉献されたのであるが、親王はこれを皇女式乾門院に譲り、門院は更に後堀河天皇の第一皇女室町院に伝え、仁科荘は室町院領となった。『神鳳鈔』に見える仁科御厨の領域はわずか40町で、安曇郡矢原御厨の1691町と比べれば遥かに狭小であるが、郷土史家の一志茂樹の推定によれば、仁科荘成立後も、御厨は完全にその神領を保っており、1376年(永和2年)の棟札に見られるような整った式年造営が維持された、とする。 御厨の領域は大町市大字社の宮本、閏田、曽根原を中心とし、藤尾郷(大町市大字八坂)を包摂した。1179年(治承3年)地頭の仁科盛家(平盛家)が覚薗寺に寄進した千手観音像の木札に「信州安曇郡(仁科)御厨藤尾郷」とある。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

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