概要
731年創建の寺。遣唐使が航海の無事を祈った寺として知られる。
解説
海龍王寺(かいりゅうおうじ)は、奈良県奈良市法華寺北町にある真言律宗の寺院。山号は佐保山。本尊は十一面観音。光明皇后の皇后宮(藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に建てられたことから隅寺(すみでら)の別称がある。 海龍王寺は平城宮跡の東方、総国分尼寺として知られる法華寺の東北に隣接している。法華寺と海龍王寺のある一画は、かつては藤原不比等の邸宅であった。養老4年(720年)の不比等の死後、邸宅は娘の光明皇后が相続して皇后宮となり、天平17年(745年)にはこれが宮寺(のちの法華寺)となった。 海龍王寺は、『続日本紀』、正倉院文書などの奈良時代の記録では「隅寺」「隅院」「角寺」「角院」などと呼ばれている。正倉院文書では天平8年(736年)には「隅院」の存在が確認できる。「隅寺」とは、皇后宮(藤原不比等邸跡)の東北の隅にあったことから付けられた名称といわれている。「平城京の東北隅にあったため」と解説する資料が多いが、位置関係から見て妥当でない。 「隅寺」の創建について、伝承では天平3年(731年)、光明皇后の発願で建立され、僧・玄昉が初代住持となったというが、このことは正史に記載がなく、創建時期や事情について正確なところはわかっていない。なお、海龍王寺境内からは飛鳥時代から奈良時代前期の古瓦が出土しており、平城京遷都以前に何らかの前身建物が存在した可能性が指摘されている。海龍王寺の敷地は、平城京の整然とした条坊(碁盤目状の町割り)からずれて位置しており、平城京内を南北に貫通する道の一つである東二坊大路は、海龍王寺の境内を避けて、やや東にずれている(現在の道路にもその名残りが見られる)。このことは発掘調査等から、先に寺院等の施設があり、後から道がつくられたことを意味している。 正倉院文書では天平10年(738年)の「経師等造物并給物案」という写経関係の文書の中に「隅院」とあるのが初出である。この文書は光明皇后発願の一切経書写の一部が隅院で行われたことを示すものだが、その2年前の天平8年(736年)作成の別の文書(写経目録)に、上記「経師等造物并給物案」と共通する内容が記載されていることから、「隅院」が天平8年に存在したことは確実視されている。海龍王寺という寺号は、海龍王経という経典にちなむものだが、いつごろからこの寺号が使われるようになったのかは定かでない。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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