概要
587年に聖徳太子が創建したと伝わる寺。信貴山の中腹にあり、張り子の虎で知られる。
解説
朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、奈良県生駒郡平群町信貴山にある信貴山真言宗の総本山の寺院。山号は信貴山。本尊は毘沙門天。「信貴山寺」とも称し、一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られる。初詣や「寅まつり」(2月下旬)は多くの参拝客でにぎわう。神仏習合の名残から、境内には鳥居も並んでいる。 朝護孫子寺は、大和国(現・奈良県)と河内国(現・大阪府南東部)の境にそびえる生駒山地の南端に近い、奈良県側の信貴山の山腹に位置する。 当寺の創建について伝承では、敏達天皇11年(582年)に寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に四天王の一つである毘沙門天を聖徳太子が感得し、後にその加護によって物部守屋に勝利したことから、用明天皇2年(587年)7月3日に聖徳太子は自ら刻んだ毘沙門天を本尊として当寺を創建し、「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付けたとする。また寺の至る所に張り子の虎が置かれているのは、その逸話に由来している。 延喜10年(910年)には中興である命蓮(みょうれん)上人によって伽藍が整備される。また、病であった醍醐天皇を命蓮が治癒したことから天皇によって「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願寺とされ、「朝護孫子寺」の勅号を賜った。 寺に伝わる国宝『信貴山縁起絵巻』は、平安時代後期、12世紀の成立とされ、日本の絵巻物の代表作とされている。この絵巻は通常の社寺縁起絵とは異なって、朝護孫子寺の創建の経緯等については何も述べておらず、信貴山で修行していた聖(ひじり)の命蓮の奇跡譚が中心主題となっている。絵巻の中巻では延喜の帝(醍醐天皇)の病を命蓮が法力で治したという話が語られている。『信貴山縁起絵巻』の詞書とほぼ同様の説話が『宇治拾遺物語』にあり、『今昔物語』にも信貴山寺の草創に関する説話が収録されている(聖の名は『宇治拾遺物語』には「もうれん」、『今昔物語』には「明練」とある)。 平安時代末期に成立した歴史書『扶桑略記』の延長8年(930年)8月19日条には、「河内国志貴山寺住」の「沙弥命蓮」が醍醐天皇の病気平癒のため祈祷を行ったことが見える。なお、当時醍醐天皇の病気は相当進んでいたようで、1か月後の9月29日に死去しており、この点は説話と異なっている。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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