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九年庵

佐賀県 · 神埼市 · 神社・寺

九年庵 / 九年庵

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九年庵
写真:gtknj / CC BY 2.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO九年庵

神埼市にある庭園。明治期の別荘で、春と秋の限られた期間だけ公開される。

WHERE佐賀県

神埼市

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概要

神埼市にある庭園。明治期の別荘で、春と秋の限られた期間だけ公開される。

解説

九年庵(くねんあん)は、佐賀県神埼市神埼町的の仁比山地区にある数寄屋造りの邸宅および日本庭園である。 明治中期に佐賀県出身の実業家伊丹文右衛門・伊丹弥太郎親子が仁比山護国寺三十六坊の塔頭・不動院と子院・地蔵院跡の土地を取得し邸宅と庭園を設けたのが、現在の「九年庵」のはじまり。 神仏分離令により1871年(明治4年)、神宮寺である護国寺三十六坊は山王日吉宮(現・仁比山神社)と分離し、3か寺のうち不動院と吉祥院を廃して、地蔵院のみが残された。伊丹文右衛門は1891年(明治24年)に不動院の跡地を取得、翌1892年(明治25年)5月に伊丹家別邸を建てる。しかし、文右衛門は1893年(明治26年)に死去し、弥太郎がこれを引き継ぐ。 弥太郎は1900年(明治33年)に別邸に庭園の築造を開始、9年をかけて1908年(明治41年)に完成する。これを手掛けたのは久留米の誓行寺住職を経て京都で学び作庭家となった阿理成(ほとり りじょう)である。阿の造る茶庭の作風は「自然流」と称し、趣の表現において僅かに切り開いた林間に茶室を建てる手法を採るもので、伊丹家別邸でも当地の地形や山林を保ちつつ石、樹木や水といった自然を活かした庭園を構築した。 伊丹家別邸は別荘としてだけではなく、弥太郎が携わった諸事業や貴族院議員(1918年選出)としての活動に関係する、著名人・客人の歓待や商談の場としても利用されたと伝えられている。実際、1917年(大正7年)5月には政界を退き帰郷した大隈重信夫妻を招き歓迎会が行われたことが佐賀新聞の報道や大隈記念館所蔵の写真で確認できる。また1908年(明治41年)広滝水力電気の開業(広滝発電所(現・広滝第一発電所)の完成)にあたっては豪華な祝賀会が開催されたという。 この間、南隣の地蔵院と仁比山神社南方の吉祥院跡の土地交換により地蔵院が移転、地蔵院跡の土地を別邸に編入した。時期は明らかではないが、1917年前後と推定される。 1920年(大正9年)には邸宅の改造が行われた。但し、これは1977年(昭和52年)屋根の吹き替え補修が行われた際に所有者・倉田氏が付けた棟札の記載に基づく。邸宅の西の庭に「九年庵」の扁額を掲げる独立の茶室が新たに建てられたのはこの頃と推定される。「九年庵」は当初この茶室を指していたが、後に庭園のことを指す通称となる。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

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