概要
木蝋で栄えた町。大正の芝居小屋が現役。
解説
内子町(うちこちょう)は、愛媛県の南予地方に位置する町。 2005年(平成17年)、喜多郡(旧)内子町、五十崎町、および上浮穴郡小田町が合併し、(新)内子町が発足した。木蝋の流通で財をなした商家が建ち並ぶ町並みをもとに「白壁と木蝋のまちづくり」を進めてきた。 愛媛県のほぼ中央にあり、県庁所在地である松山市から約40キロメートル南西に位置する。 肱川支流の小田川などが流れており、河川に沿って平地が開けている。内子市街地より上流は谷あいに集落が点在している。小田川は親自然型工法の発祥の地として知られている。 古くから大洲街道の交通の要衝として、また四国遍路の通過地として栄えた町である。 江戸時代から明治時代にかけ、和紙と木蝋の生産で栄え、特に木蝋は品質の高さで海外でも評価されるほど名を馳せ、最盛期には全国生産の約30パーセントを占めた。 大正時代以降は、石油や電気の普及によって木蝋生産は衰微したが、当時の繁栄ぶりをうかがわせる商家群の町並みを「八日市道路」に沿って見ることができる。この歴史的な町並みは、1982年(昭和57年)に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 大洲藩又は新谷藩(にいやはん)領であった。 1889年(明治22年) - 内子村と知清村が合併して喜多郡内子町が発足。 1955年(昭和30年) - 内子町・大瀬村・五城村・立川村・満穂村が合併し、改めて内子町が発足。 1965年(昭和40年)11月3日 - 内子公民館が第18回優良公民館として文部大臣表彰を受ける。 1976年(昭和51年) - 古い家並みの見直しが在住者から提言される。町並みという言葉はまだ一般的ではなかった。 1977年(昭和52年) - 町による町並み保存調査。 1979年(昭和54年) - 歴史的景観 都市連絡協議会を開催。 1980年(昭和55年) - 内子町伝統的建造物群保存地区保存条例制定公布。上芳我家住宅が木蝋資料館としてオープン。 1982年(昭和57年) - 八日町護国の町並みが国の重要伝統的建造物群保存地区として選定される。 1983年(昭和58年) - 町並保存対策室が設置される。内子座の修理復原工事に着工。 「内の子市」発足。 9月 - 内子座工事完成、こけら落し。 町制施行30周年記念行事。 1月 - 「知的農村塾」スタート。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開業:1916年 指定:重要文化財、重伝建
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出典 town.uchiko.ehime.jp ↗旅の前に知っておくこと
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