概要
宣教師ショーが避暑地として広めた。旧三笠ホテルが残る。
解説
軽井沢町(かるいざわまち)は、長野県東信地方の町。北佐久郡に属し、浅間山東南麓に位置する。 19世紀末からの歴史ある高原リゾート都市であり、日本を代表する避暑地・別荘地として名高い。 町の北側は森林に広く覆われ、浅間山や上信越高原国立公園へと続いており、南側は草原や田園やゴルフ場が多く分布し、雄大なパノラマ風景が広がっている。町内には別荘、教会、リゾートホテル、レストラン、カフェ、美術館などが点在しており、年間を通じてハイキング、サイクリング、乗馬、ドライブ、ショッピング、ガストロノミー(グルメ)などを楽しむことができ、夏はゴルフやテニス、冬はスキーやスケートといった屋外レクリエーションに適する。 江戸時代までは中山道の宿場町として栄え、軽井沢宿・沓掛宿・追分宿の3宿が置かれたが、明治時代に入ると交通事情の変化により衰退した。そんな中イギリス系カナダ人宣教師のアレクサンダー・クロフト・ショーによって、その西洋に似た気候風土から1880年代に避暑地・別荘地として開拓され、それ以降高い人気を博している。 明治から昭和前期にかけて、「日本の中の西洋」と言われるまでに聖職者や外交官など毎夏千数百名の外国人が滞在、全国で最も外国人に人気のある夏のリゾート地となり(「日本三大外国人避暑地」も参照)、キリスト教をはじめとする西洋文化が流入した。大正期からは、外国人に倣って日本の上流階級も数多く滞在、皇族や華族、政財界の要人らの別荘が次々と建設され、社交界の舞台となった。加えて同時期から学者や小説家、画家、音楽家などの文化人も数多く滞在し、サロンの舞台にもなる。第二次世界大戦下には、枢軸国・中立国13ヵ国の大公使館と一般外国人千数百名の疎開先となり、連合国軍による空襲は行われなかった。戦後になると、外国人避暑客は減少するもののその知名度は日本人の間で全国的に拡大、高度経済成長期からバブル期にかけての別荘ブーム、アンノン族によるペンションブーム、平成期における通年型観光地への脱皮などを経て、今日に至るまでに発展した。 町全体が別荘地として整備されており、現在では町内における別荘・保養施設数が1万6000軒を超え、持ち家数の1.5倍以上に及んでいる。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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