概要
雲仙の伏流水が町中に湧く。鯉の泳ぐ水路。
解説
島原市(しまばらし)は、長崎県南東部にある市。 島原半島の中心都市であり、島原城や武家屋敷など旧城下町の街並みが残る。島原湧水群があり、水の郷百選や遊歩百選に選ばれている。有明海(島原湾)を介して、フェリーや高速船で結ばれている対岸の熊本市や大牟田市などとの関係も深い。旧南高来郡。 島原半島の東端に位置し、西に雲仙市、南に南島原市と接し、半島を構成する3市で島原半島ユネスコ世界ジオパークとしてユネスコに認定されている。市の西部には標高1,483mの平成新山をはじめとした雲仙岳の山々があり、東向きに裾野が広がる。東は有明海に面する。東部の海岸沿いに人口が多く、国道251号と島原鉄道が海岸沿いを縦断する。 河川 - 水無川・中尾川・湯江川 山 - 雲仙岳(眉山・平成新山) 2024年8月4日に最高気温39.2℃(15:41)を観測し、15年ぶりに長崎県内の観測史上最高気温を更新した。また、同県としては初めて39℃を超えた。 島原市の地名を参照。 江戸時代初期の1618年(元和4年)から7年の歳月をかけ松倉重政が島原城を築城したが、石高の規模の見合わない大城であったため松倉家の財政は破綻し、松倉家はこれを補うため日本史上で類例がない九公一民の重税をかけ、その減免を訴えた農民を一揆勢であると偽称して次々と拷問にかけ殺した。さらにはキリシタン弾圧などの悪政を続け、1637年(寛永14年)に島原の乱が起こる。これにより旧来の住民はほとんど全滅し、代わって藩を統治した高力忠房の移住政策により復興していくことになる。学者の説では現代の島原市民はその大半が農民による大規模な島原の乱以降の移住者であり、江戸期以前に伝統的に島原で居住してきた人間の子孫はほぼ存在しないとされるが根拠が無くて歴史的にその事実が確認できない。しかし忠房の後を継いだ隆長は藩の体制確立に躍起になったためか失政が多く、幕府より咎を受け寛文8年(1668年)に改易となった。 代わって丹波国福知山藩より深溝松平氏の松平忠房が藩主となる。松平氏は5代にわたって島原を統治したが、寛延2年(1747年)に下野国宇都宮藩の戸田忠盈が入り、入れ替わりで松平氏は宇都宮へ移封。戸田氏は2代続いたが、安永3年(1774年)に宇都宮へ移封されていた松平氏が再び戻ってくる。戸田氏も入れ替わりで宇都宮へ戻る。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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