概要
屋敷林に囲まれた家が田に点在する。散らばって住む形。
解説
散居村(さんきょそん)は、耕地など広大な土地の間に民家(孤立荘宅)が散らばって点在する集落形態。一般的には散村(さんそん)と呼ばれる。集村と対比して語られることが多く、一般には集村が普遍的で散村は比較的少ないと考えられているが、実際には世界的に広く見られる集落形態である。 自然条件、あるいは土地所有や相続制度など民族的伝統によって古くから成立したものもあるが、近代の開拓地で形成されたものが多い。国内では北海道の屯田兵村やいくつかの局地的なものを除くと、それらの起源は必ずしも明らかではない。砺波平野の散村は中世まで遡りうるが、一般的には治安が安定し、為政者にとっても農民にとっても生産性向上への関心が高まる近世期以降に形成または拡大したと考えられる。 日本においては島根県の出雲平野、香川県の讃岐平野、静岡県の大井川扇状地、長崎県の壱岐島、北海道の十勝平野、岩手県の胆沢扇状地、秋田県の横手盆地北部(仙北平野)、富山県の砺波平野や黒部川扇状地などがその典型例である。なかでも日本国内最大とされる砺波平野では現在、およそ220平方キロメートルに7,000戸程度が散在している。 世界ではイギリスの大半、フランス西部からライン川下流域、イタリアのポー川流域、スカンジナビア半島、バルカン半島北西部、エジプト、台湾北部、中国東北部の北部などで、民族にかかわりなく認められる。 砺波平野の散居村は、水田の間に点在する各家屋が周囲に屋敷林(方言で「カイニョ」)を育て、日本国内でも珍しい美しい景観をなしている。地元の人々も誇りにしており、砺波市立の博物館「となみ散居村ミュージアム」がある。 この景観が成立したのは、16世紀末から17世紀にかけてであると考えられている。砺波平野を流れる庄川は江戸時代以前にはしばしば氾濫したため、この地域に住みついた人々は平野の中でも若干周囲より高い部分を選んで家屋を建て、周囲を水田とした。このような住居と水田の配置は農業者にとっては便利であったため、砺波平野を含む越中国を納めていた加賀藩前田家による田地割政策下でもこの地域の農民たちは引地、替田を行って自宅周辺に耕作地を集めようとした。 砺波平野を含む北陸地方は、冬の気候が厳しい。山や他の建物に遮られず吹いてくる風雪や夏の日差しを和らげるため、家屋の周囲に屋敷林(カイニョ)を植えた。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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