概要
厄除け観音として知られる。正月の千本搗き餅つきが伝わる。
解説
水間寺(みずまでら)は、大阪府貝塚市水間にある天台宗の別格本山の寺院。山号は龍谷山。本尊は聖観世音菩薩。水間観音の通称で知られる。新西国三十三箇所第4番札所。「水間観音とその周辺」として大阪みどりの百選に選定されている。 寺伝によれば、行基は病床の聖武天皇の命により、天皇の夢に現れたという観音菩薩を求めていた。そこに白鳥(しらとり)が現れて南西の方向に導かれた。その白鳥は和泉国で羽根だけを残し何処へともなく消え去り(この地は現・貝塚市鳥羽だという)、彷徨いながら北東の方向へ進んで行くと、16人の童子(観音菩薩の化身)に遭遇した(この地は現・貝塚市清児といい、稚児塚の伝承地が現存する)。その童子に案内されると2つの川が合流する「水間」の地に着き誘われた。行基は滝に向かうとそこに竜神が現れ、一寸八分(約6センチメートル)の閻浮陀金の聖観音像を授けられた、と伝わっている。その滝は現在の本堂の裏を流れる秬谷川にあったらしく、現在は岸辺に設置されたフェンスに「聖観音菩薩出現の滝」と墨でかかれたボードが設置されている。そして、行基はこの聖観音像を聖武天皇に捧げたところ、天皇の病は全快した。天皇は、この仏像を現地に祀るようにとの勅命を行基に下すと、天平16年(744年)に行基によってこの地に堂宇が建立された、これが当寺の始まりであるという。 建久元年(1190年)に七堂伽藍が完成する。 天正13年(1585年)に梵鐘が貝塚本願寺(現・願泉寺)に売却されている。当寺は中世より武家による手厚い保護を受けてきたが、羽柴秀吉による紀州征伐の際には根来寺に与したために、同年に堀秀政の軍勢に攻められて焼失した。 文禄5年(1596年)に岸和田城主小出秀政によって本堂が再建されている。 寛文元年(1661年)に三重塔が再建されている。 元禄元年(1688年)に刊行された井原西鶴の『日本永代蔵』の第1話「初午は乗て来る仕合」に「泉州水間寺利生の銭」と記されたことで全国的に知られるようになった。その後、岸和田藩主岡部氏 の帰依を受けて元禄年間(1688年 - 1704年)には諸堂宇も再建された。 天明4年(1784年)に火災にあって本堂以下が焼失したが、文政10年(1827年)に岸和田藩主岡部長慎により本堂が再建され、天保5年(1834年)には三重塔が再建されている。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建:744年(伝) ご利益:厄除け、縁結び
出典 ja.wikipedia.org ↗公式サイト
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出典 mizumadera.or.jp ↗旅の前に知っておくこと
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