概要
身延山と七面山を結ぶ参詣路の宿場。斜面に石垣を積み、家を段状に置く。重要伝統的建造物群保存地区。
解説
赤沢(あかさわ)は、山梨県南巨摩郡早川町にある集落。日蓮宗の総本山である身延山と、同じく日蓮宗の霊山である七面山とに参拝する客の宿場として栄えた。集落は重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。郵便番号は409-2733。 赤沢宿は山梨県南西部の早川町南部、南アルプスの南東端に位置し、富士川の支流である早川の更に支流、七面山に源をもつ春木川右岸の標高500~600メートルにかけての急斜面山腹に集落を形成している。東に身延山(標高1148メートル)、春木川をはさんで西に七面山(標高1982メートル)など1000メートル級の山々に囲まれ、後述する身延山から七面山参拝へ向かう参拝ルートの中間に位置している。本来このような急斜面の地形の土地に集落が形成されることは少ないが、江戸期に参拝客の増加に伴い講中宿と呼ばれる宿泊施設や参拝に関連した生業が営まれたことによって、他に例を見ない集落形態を作った。 重要伝統的建造物群保存地区として選定された現在でも、集落へ向かう車道は山肌を這うような見通しの悪い狭い道路で、大型車はおろか乗用車でさえ擦れ違いが困難である。路線バスは麓にある早川町乗合バスのバス停まで行く必要がある(大人の健常者で徒歩15~20分程度)。 赤沢の草分けとされる家は2軒あり、そのうち1軒は1274年(文永11年)に来住したという伝承を持つ。また、赤沢の檀那寺である日蓮宗長徳山妙福寺は、もともと真言宗の寺であったが、1277年(建治3年)、日蓮の高弟、日朗との宗旨問答に負けて日蓮宗に改宗したとの由緒を持つことから、この時期には人家があったことが推測される。 もう1軒の草分けが来住したのは1582年(天正10年)とされ、1591年(天正19年)の検地帳には17戸の家数が記載されている。 検地帳などからは、近世から現代まで戸数30戸前後で推移していることがわかる。 江戸時代の早い段階で、隣の小縄村、高住村と一括されて「小縄高住赤沢村」として公式の文書に登場するようになる。3村一括の状態は、1874年(明治7年)に本建村赤沢区となるまで続いた。 1889年(明治22年)には、本建村と硯島村との間で組合村が成立したが、1911年(明治44年)には解消。1956年(昭和31年)には、本建村の合併により、早川町赤沢となった。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:江戸期 代表作・所蔵:赤沢宿の講中宿、急斜面の石垣 ジャンル:建築
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
世界の質問箱から、この資料に関係する疑問を3つ。
みんなの投稿
行った人・住んでいる人からの訂正・体験談・営業時間・翻訳。確認のうえ掲載しています。
この場所について投稿する →同じ県の建築
訪問前の確認・参考資料
原資料を掲載しています。営業時間、見学可否、料金、交通は最新の公式情報で確認してください。
この県の工芸・名品
この記述はValue Villageが公開情報をもとに自分で書き起こしたものです。転載はしていません。 対応言語:ja / en
山梨県の Instagram 投稿(公式アカウントより)
この場所に結びついた投稿はまだありません。県の公式アカウントの投稿を毎分入れ替えて表示しています。