概要
東海道の宿場の総鎮守。多宝塔が重要文化財で、神仏習合の名残。
解説
知立神社(ちりゅうじんじゃ/ちりふじんじゃ)は、愛知県知立市西町にある神社。式内社、三河国二宮で、旧社格は県社。 旧称は「池鯉鮒大明神」。江戸時代には「東海道三社」の1つに数えられた。 祭神は次の6柱。主祭神4柱に相殿神2柱を併祀する。 鸕鶿草葺不合尊 (うがやふきあえずのみこと) - 主神。 彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) - 鸕鶿草葺不合尊の父。 玉依比売命 (たまよりびめのみこと) - 鸕鶿草葺不合尊の妻。 神日本磐余彦尊 (かむやまといわれびこのみこと:初代神武天皇) - 鸕鶿草葺不合尊の子。 青海首命 (あおみのおびとのみこと) - 碧海地方の開拓にあたったと伝える人物。 祭神について文献では、日本武尊従者の大伴武日や吉備武彦とする説や、「チリュウ」の音から木花知流比売(このはなちるひめ)とする説が挙げられている。また聖徳太子の併祀は、江戸時代中期の史料まで遡って見られる。 社伝では、第12代景行天皇の時に東国平定に赴いた日本武尊が当地で戦勝を祈願し、平定後の帰途に感謝して建国祖神の上記4柱を祀ったのが創建という。一方、第14代仲哀天皇元年の創建とする説もある。 江戸時代まで当社を氏神として祀っていた永見氏一族の『永見氏家譜』によれば、その出自について饒速日尊後裔で知波屋見命(知波夜命:初代三河国造)十五世孫の三河連貞連が、白鳳2年に天武天皇の勅命により知立神主になったとしている。 なお、当初の鎮座地は東へ約1キロメートルの山町の高地であったといわれる。一時上重原を経て、現在地に移ったのは天正元年(1573年)になるという。 国史では、「知立神(智立神)」の神階が仁寿元年(851年)に従五位上、貞観6年(864年)に正五位下、貞観12年(870年)に正五位上、貞観18年(876年)に従四位上に昇叙されたと見える。いずれの記事でも砥鹿神(愛知県豊川市の砥鹿神社:三河国一宮)と併記され、六国史終了時点の神階は三河国内では砥鹿神とともに最高位になる。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では参河国碧海郡に「知立神社」と記載され、式内社に列している。なお、『和名抄』では三河国碧海郡に「智立郷」と見えるが、これは当地付近に比定される。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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創建:不詳(古代) 指定:重要文化財 ご利益:安産、交通安全
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