概要
多宝塔は名古屋市最古の建造物。円空仏を千体以上所蔵する。
解説
荒子観音(あらこかんのん)は、愛知県名古屋市中川区荒子町にある天台宗の寺院。 奈良時代に創建と伝わる天台宗の古刹。「荒子観音寺」とも称するが、正式には浄海山圓龍院観音寺である。「荒子の観音さん」としても親しまれている。尾張四観音のひとつに数えられる。本尊は聖観音で、33年に1度開扉の秘仏である。山門にある二体の仁王像は円空の作といい、1000体を超える円空仏を所蔵している。多宝塔は市内最古の木造建築物として知られている。 寺伝によれば、天平元年(729年)、に泰澄が草創し、天平13年(741年)、に弟子の自性が堂宇を整えたとされる。泰澄は加賀の白山の開祖とされる伝説的人物であり、以上の草創伝承がどこまで史実を伝えるものかは不明である。創建当時は七堂伽藍十二坊をもつ大寺であったと伝わっている。 荒子観音の裏の畑地から飛鳥時代のものと推定される提瓶が出土しているが、発掘調査が行われていないため他の出土品は確認されておらず当寺との関係も不詳である。 創建当時は現在地の北西にあったと伝わるが、定かではない。旧地については諸説あり、江戸中期の『塩尻』は高畑村地内にあったとし、江戸後期の『尾張国地名考』では高畑村と八田村の境界付近にあったとしている。高畑町にはかつて「本堂」「東大門」「西大門」という小字があったため、鎌倉期までの旧地は現在の上高畑付近であるという説がある。また、「八田の鬼頭屋敷跡」と称された場所から廃寺跡と見られる礎石が見つかっており、これが当寺の遺構という説もある。柳田町からも廃寺の礎石らしきものが見つかっている。興廃を繰り返し、中世に現在の場所に落ち着いたと考えられている。 戦乱により古文書の多くが焼失しているというが、中世の遺物は僅かに残っている。特に古いのは、永享元年(1429年)の「尾州一楊御厨観音寺金口 東郷」と銘のある鰐口で、当時の荒子観音が一楊御厨(伊勢神宮領)の東郷に所在していたことが分かる。 天文5年(1536年)に賢俊により多宝塔が再建されたという。この多宝塔は名古屋市内に現存する最古の建物で、国の重要文化財に指定されている。熱田の大工であった岡部甚四郎吉定により建造されたといい、室町時代後期の禅宗様式を反映している。 寺伝によれば、永禄年間に全運により再興されたという。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建:729年(伝) 指定:重要文化財 ご利益:厄除け
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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