本文へ移動
日本国内の地域・文化・観光資料 / 営業日や料金などは掲載元の最新情報をご確認ください。

Value Village

伊奈波神社

岐阜県 · 岐阜市 · 神社・寺

Inaba Jinja / 伊奈波神社

この資料を保存・計画
地図で見る →AI旅程を考える
伊奈波神社
写真:Oilstreet / CC BY-SA 4.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO伊奈波神社

稲葉山のふもとに鎮まる古社。1539年に斎藤道三が稲葉山城を築く際に現在地へ移されたと伝わる。

WHERE岐阜県

岐阜 · 岐阜市

CHECK BEFORE YOU GO訪問前に確認

営業日、料金、予約、撮影可否、季節条件は公式情報で確認してください。

Instagram で見る

この場所の名前のハッシュタグ。押すと Instagram のタグ一覧が新しいタブで開きます。

概要

稲葉山のふもとに鎮まる古社。1539年に斎藤道三が稲葉山城を築く際に現在地へ移されたと伝わる。

解説

伊奈波神社(いなばじんじゃ)は、岐阜県岐阜市伊奈波通りにある神社。式内社論社、美濃国三宮で、旧社格は国幣小社。 2015年(平成27年)4月24日、「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜 」の構成文化財として日本遺産に認定される。 垂仁天皇の第一皇子で、この地の開拓神である五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)を主祭神とし、妃の淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)、母の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)、外祖父の彦多都彦命(ひこたつひこのみこと、稲葉国造の祖)、臣下の物部十千根命(もののべのとちねのみこと)を配祀する。これらの神を伊奈波大神と総称する。 社伝によれば、五十瓊敷入彦命は朝廷の命により奥州を平定したが、五十瓊敷入彦命の成功を妬んだ陸奥守豊益の讒言により、朝敵とされて現在の伊奈波神社の地で討たれたという。 社伝によれば、景行天皇14年、武内宿禰が稲葉山北西の椿原(現在の岐阜公園内の丸山)に五十瓊敷入彦命を祀ったのに始まるとされる。壬申の乱の際に天武天皇が当社に戦勝を祈願したという。 天文8年(1539年)、斎藤道三が稲葉山に稲葉山城を築城するにあたり、現在地に遷座した。この際、その地にあった物部十千根命を祀る物部神社を合祀し、稲葉山城の鎮守とした。以降も、岐阜の総産土神として篤い崇敬を受けた。明治6年に県社に列格し、昭和14年に国幣小社に昇格した。戦後の昭和27年7月1日に岐阜県神社庁より県神社庁長参向神社(金幣社)の指定(金3号)を受ける。 また大日本帝国海軍の軽巡洋艦「長良」(長良型軽巡洋艦のネームシップ)の艦内神社は本宮が分霊されていたゆかりの神社である。 『延喜式神名帳』では、美濃国厚見郡の神社として「伊奈波神社」の社名は記されていないが小社として「物部神社」の社名があり、これが当社に合祀された物部神社であるとされる。あるいは、当社自体が式内・物部神社であるとする説もある。『美濃国神名帳』には「正一位 伊奈波大神」「従五位下 物部明神」と記載されている。 明治24年の濃尾地震により殿宇を悉く焼失したが、翌年本殿を復興。そののち昭和4年から昭和15年にかけて二本松孝蔵の設計により現在の社殿が建造された。 鳥居(一の鳥居、二の鳥居)、遥拝所 岐阜東照宮 - 2021年(令和3年)6月1日社殿再建。 2月3日 - 節分祭。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建:紀元前85年(伝) ご利益:厄除け、開運

出典 ja.wikipedia.org ↗

旅の前に知っておくこと

世界の質問箱から、この資料に関係する疑問を3つ。

同じ県の神社・寺

この分類をすべて見る

訪問前の確認・参考資料

原資料を掲載しています。営業時間、見学可否、料金、交通は最新の公式情報で確認してください。

この県の工芸・名品

工芸・ものづくり特産品・お土産

この記述はValue Villageが公開情報をもとに自分で書き起こしたものです。転載はしていません。 対応言語:ja / en / zh

岐阜県の Instagram 投稿(公式アカウントより)

この場所に結びついた投稿はまだありません。県の公式アカウントの投稿を毎分入れ替えて表示しています。