本文へ移動
日本国内の地域・文化・観光資料 / 営業日や料金などは掲載元の最新情報をご確認ください。

Value Village

清見寺

静岡県 · 静岡市 · 神社・寺

Seikenji / 清见寺

この資料を保存・計画
地図で見る →AI旅程を考える
清見寺
写真:Tnk3a / CC BY-SA 3.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO清見寺

朝鮮通信使が立ち寄り、扁額を残した。庭園は国の名勝。

WHERE静岡県

中部 · 静岡市

CHECK BEFORE YOU GO訪問前に確認

営業日、料金、予約、撮影可否、季節条件は公式情報で確認してください。

Instagram で見る

この場所の名前のハッシュタグ。押すと Instagram のタグ一覧が新しいタブで開きます。

概要

朝鮮通信使が立ち寄り、扁額を残した。庭園は国の名勝。

解説

清見寺(せいけんじ)は、静岡市清水区興津清見寺町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は巨鼇山(こごうさん)、正式には「巨鼇山 求王院 清見興国禅寺」(こごうさん ぐおういん せいけんこうこくぜんじ)と称する。 寺伝では奈良時代の創建と伝える。平安時代は清見関(清見ヶ関)に置かれた比叡山を総本山とする天台宗の寺院であった。 鎌倉時代に禅寺として復興し、足利尊氏や今川義元の帰依を受けて繁栄した。また、その頃、徳川家康は今川氏に人質としてであったが、当寺の住職太原雪斎に師事し、当寺で勉強していた。交通の要衝であり、武田氏による駿河侵攻の際には、今川氏真が本陣を構えたものの、薩埵峠の戦いによる家臣の相次ぐ離反、武田方への内通により戦わずして駿府城に撤退している。 江戸時代には徳川氏の庇護を受けたほか、東海道の目の前にあることから、朝鮮通信使や琉球使の接待がここで行われた。広島県福山市鞆町にある福禅寺、岡山県瀬戸内市牛窓町にある本蓮寺と共に朝鮮通信使遺跡として国の史跡に指定されている。また庭園も国の名勝に指定されている。 また、駿河湾を望む風光明媚な高台にあり、室町時代には雪舟が、明治時代には夏目漱石や高山樗牛、島崎藤村が訪れている。 なお、寺の境内を東海道本線の線路が横切っている。その経緯については興津駅の歴史を参照。 白雉年間(650年 - 654年)清見関の側に天台宗の寺院として創建される。 建長年間(1255年)清見寺梵鐘の第一回鋳造を行う。 弘長2年(1262年)関聖が臨済宗寺院として再興し、師の円爾(弁円)を勧請中興に招く。 康永元年(1342年)室町幕府初代将軍・足利尊氏により天下十刹制度に組み込まれ官寺として保護される。清見寺領の承元寺が駿河国安国寺に指定され、清見寺に塔が建てられる。清見寺は、興国禅寺の名を受ける。 永享4年(1432年)室町幕府将軍足利義教、富士遊覧の途上、今川家の案内により、清見寺に来る。 戦国時代の戦乱に巻き込まれて焼失。 天文9年(1540年)頃、太原崇孚禅師清見寺に入寺(準開山)、東海の雄・今川義元の後援を得て太原雪斎が復興。 天文19年(1549年)頃、松平竹千代(後の徳川家康)が滞在(のちに徳川家に保護されるきっかけとなる。) 元亀2年(1571年)大輝祥邊禅師住す(中興開山) 天正10年(1582年)徳川家康の軍勢興津に陣す。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建:白鳳期(伝) 指定:名勝 ご利益:学問

出典 ja.wikipedia.org ↗

公式サイト

最新の営業時間・料金・休業日は公式サイトで確認してください。

公式サイトを開く ↗

出典 seikenji.com ↗

旅の前に知っておくこと

世界の質問箱から、この資料に関係する疑問を3つ。

同じ県の神社・寺

この分類をすべて見る

訪問前の確認・参考資料

原資料を掲載しています。営業時間、見学可否、料金、交通は最新の公式情報で確認してください。

この県の工芸・名品

工芸・ものづくり特産品・お土産

この記述はValue Villageが公開情報をもとに自分で書き起こしたものです。転載はしていません。 対応言語:ja / en / zh

静岡県の Instagram 投稿(公式アカウントより)

この場所に結びついた投稿はまだありません。県の公式アカウントの投稿を毎分入れ替えて表示しています。