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根来寺

和歌山県 · 岩出市 · 神社・寺

Negoroji / 根来寺

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根来寺
写真:Kumamushi / CC BY-SA 3.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO根来寺

大塔は日本最大の木造多宝塔で国宝。鉄砲を装備した根来衆の拠点だった。

WHERE和歌山県

紀北 · 岩出市

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概要

大塔は日本最大の木造多宝塔で国宝。鉄砲を装備した根来衆の拠点だった。

解説

根来寺(根來寺、ねごろじ / ねごろでら)は、和歌山県岩出市にある新義真言宗の総本山の寺院。山号は一乗山。本尊は大日如来・金剛薩埵・尊勝仏頂の三尊。開山は覚鑁(興教大師)。詳しくは一乗山大伝法院根来寺と称する。 平安時代後期の高野山の僧・覚鑁が、1130年(大治5年)に高野山内に小伝法院を創建したことに始まる。1131年(天承元年)、鳥羽上皇により勅願所とされたのを機に、院号を大伝法院と改めた。 1134年(長承3年)に覚鑁は金剛峯寺座主に就任し、高野山全体を統轄する強大な勢力をもつに至る。覚鑁は当時堕落していた高野山の信仰を建て直し、宗祖・空海の教義を復興しようと努めたが、高野山内の衆徒はこれに反発し、覚鑁一門と反対派は対立しあうようになった。 1140年(保延6年)には、覚鑁の住房・密厳院を含む覚鑁一門の寺院が高野山内の反対勢力により焼き討ちされるという事件(錐もみの乱)が発生し、覚鑁一門は高野山を下りて大伝法院の荘園の一つである弘田荘内にあった豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移した。さらに新たに円明寺を建てて伝法会道場とする。こうして豊福寺・円明寺を中心として院家が建てられ、一山総称としての根来寺が形成される。覚鑁は1144年1月18日(康治2年12月12日)、49歳のとき円明寺で没する。それから1世紀以上後の1288年(正応元年)、大伝法院の学頭であった頼瑜は大伝法院の寺籍を根来寺に移し、この頃から大伝法院の本拠地は高野山から根来寺に移った。 室町時代末期の最盛期には坊舎450(一説には2,700とも)を数え一大宗教都市を形成し、寺領72万石を数え、1万余の根来衆とよばれる僧兵軍団を擁した。また、根来寺僧によって種子島から伝来したばかりの火縄銃一挺が持ち帰られ、僧兵による鉄砲隊が作られた。織田信長とは石山合戦に協力するなど友好関係を築いたが、信長没後、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄の戦い(小牧・長久手の戦い)においては徳川方に通じ、留守であった秀吉方の岸和田城を襲ったほか、南摂津への侵攻を図ったことで秀吉の雑賀攻め(紀州征伐)を招くこととなった。 根来寺は、鉄砲の生産地であった近在の雑賀荘の鉄砲隊とともに秀吉方に抵抗するが各地で敗れ、1585年(天正13年)、秀吉軍は根来寺に到達。大師堂、大塔など数棟を残して寺は焼け落ちた。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建:1130年 指定:国宝 ご利益:厄除け

出典 ja.wikipedia.org ↗

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