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明延鉱山

兵庫県 · · 自然・絶景

Akenobe Mine / 明延鉱山

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明延鉱山
写真:オータムスネイク / Public domain · 出典 ↗
WHAT TO DO明延鉱山

養父市にある鉱山の跡。かつて国内の錫の産出の大半を占めた。

WHERE兵庫県

兵庫県

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概要

養父市にある鉱山の跡。かつて国内の錫の産出の大半を占めた。

解説

明延鉱山(あけのべこうざん)は、かつて兵庫県養父郡大屋町明延(現:養父市)にあった鉱山。スズ、銅、亜鉛、タングステンなどの多品種の非鉄金属鉱脈を有し、特にスズは日本一の鉱量を誇っていた。 天平勝宝4年(752年)に開眼供養が行われた奈良・東大寺の東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)には、明延から産出された銅が多く使われたとする伝承がある。ただし、明延鉱山の開坑は大同4年(809年)とされている。 銅山としては大同年間(806年~810年)以後に衰退していき、江戸時代中期の明和年間(1764年~1772年)まで銅を産出していた記録は見られない。安土桃山時代の天正年間(1573年~1592年)には銀の鉱脈が発見され、家屋が急増して千軒町と呼ばれるようになった。豊臣秀吉は明延を訪れて「山路きて 我もつかれし芦谷の 夜はほのぼのと 明延の里」と読んだとされる。文禄5年(1596年)、妙見堂に明延鉱山で産出された銀と銅の合金で鋳造された梵鐘が奉納されたが、この梵鐘には(明延鉱山や明延銅山ではなく)明延銀山と刻まれている。 寛永年間(1624年~1644年)には衰退したとされる一方で、元禄年間(1688年~1692年)の記録で「明延銀山大繁昌」と記されているものもある。元禄12年(1699年)の「御公用覚帳」には、明延集落の長さが4町(約400m)、家数が67軒と記されている。安永5年(1776年)の記録には、観音町、本町、中町、片町、新町があったと記されている。宝永年間(1704年~1711年)以後には銀の産出が衰えて銅山としての性格を強めたとされる。 明治維新後の1872年(明治5年)には久美浜県に組み込まれ、御料局生野支所の支配下に置かれた。1896年(明治29年)には岩崎小弥太の三菱合資会社に払い下げられた。 明延鉱山で産出した鉱石を神子畑選鉱所に運搬するために、1912年(大正元年)には5.75 kmの鉱山列車である明神電車が運行を開始した。1952年(昭和27年)にはっ旅客輸送も開始し、1円という乗車賃で乗客を運んだことから一円電車という愛称が付いた。 太平洋戦争後に活況を取り戻すと、1952年(昭和27年)には大幅縮小された新潟県の佐渡金山から、1953年(昭和28年)には大分県の尾平鉱山から、1965年(昭和40年)には宮崎県の槙峰鉱山から多くの転入者を受け入れた。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

確認の記録

※団体様20名以上割引あり ※ご利用の3日前までに要予約 ※料金はガイド料込み ※探検坑道の受付は下記をご参照ください。 ①日曜坑道見学会(4月~11月に実施、予約不要)→あけのべ憩いの家 ②予約済みの方→あけのべ自然学校

出典 hyogo-tourism.jp ↗

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出典 akenobe-kozan.com ↗

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