概要
高野山にある霊廟。1643年に徳川家光が建て、家康と秀忠をまつる。
解説
徳川家霊台(とくがわけれいだい)は、和歌山県伊都郡高野町の真言密教の聖地・高野山にあり、江戸幕府初代将軍徳川家康と2代将軍秀忠を祀る霊屋(たまや)である。 徳川家霊台は、かつては高野聖方の代表寺院であり、徳川家の菩提寺・宿坊でもあった大徳院の境内に建つが、大徳院は明治時代に他寺院と合併して廃寺となり、現在霊台は高野山真言宗大本山の金剛峯寺に属する。霊屋は、秀忠の死の翌年に当たる1633年(寛永10年)に3代将軍家光によって造営が開始され、10年の歳月を費やして1643年(寛永20年)に落慶法要が行われた。江戸時代には「おたまや」(御霊屋)と呼ばれていた。 徳川家霊台として、以下の2棟が建つ。 霊屋(霊舎)は位牌堂であり、向かって右に家康霊屋、向かって左に秀忠霊屋の2棟が並び、それぞれが透塀で囲まれ、正面に唐門がある。家康霊屋前にのみ鳥居が建つのは、家康が東照大権現という神として祀られていることによる。建築様式は禅宗様である。2棟はほぼ同じ作りだが、家康霊屋の向拝の蟇股(かえるまた)には虎の彫刻、秀忠霊屋には兎の彫刻がある。それらは家康が1543年(天文11年)の寅年生まれ、秀忠が1579年(天正7年)の卯年生まれであることにちなむ。その虎の両脇には、王が仁政を行うと現れる霊獣とされる麒麟が彫刻され、家康を称えることを意味する。また兎の両脇に虎が彫刻されているが、これは秀忠が家康に見守られた正当な後継者であることを意味する。霊屋は約6m四方の一重宝形造で、欅材を使用し、構造材に1641年(寛永18年)の墨書銘がある。桁行3間、梁間3間、正面に1間の唐破風向拝が付き、屋根は瓦棒銅板葺で、また外壁、扉には濃密な木彫が施され、柱、欄干なども含め、いたる所に飾り金具が使用され、金襴巻(きんらんまき)という通常は絵師が文様を描く部分には、装飾金具を何枚も重ね張りすることで表現している。軒を支える組物は「三手先」(みてさき)、軒の垂木は放射状に並ぶ扇垂木である。垂木は黒漆仕上げで、垂木と垂木の間には金箔が貼られている。軒より下は、欅材の木肌が白く見え、長い年月を経て、一見無塗装に思われるが、古文書に「拭漆」とあり、当時は欅の美しい杢目(もくめ)が透けて見え、春慶塗のような淡いべっ甲仕上げだったと考えられている。内壁は金箔貼りで、家康霊屋には鷹が、秀忠霊屋には獅子が描かれている。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗公式サイト
最新の営業時間・料金・休業日は公式サイトで確認してください。
出典 reihokan.or.jp ↗旅の前に知っておくこと
世界の質問箱から、この資料に関係する疑問を3つ。
同じ県の古い町並み
訪問前の確認・参考資料
原資料を掲載しています。営業時間、見学可否、料金、交通は最新の公式情報で確認してください。
この県の工芸・名品
この記述はValue Villageが公開情報をもとに自分で書き起こしたものです。転載はしていません。 対応言語:ja / en / zh
和歌山県の写真
この資料に関連する地域の参考写真です。掲載施設・商品の写真ではありません。
拡大 ↗
拡大 ↗和歌山県の Instagram 投稿(公式アカウントより)
この場所に結びついた投稿はまだありません。県の公式アカウントの投稿を毎分入れ替えて表示しています。
