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九谷焼の窯元

石川県 · 加賀市 · 建築

Kutani Ware / 九谷烧的窑元

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九谷焼の窯元
写真:ReijiYamashina / CC BY-SA 3.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO九谷焼の窯元

五彩の上絵。一度絶えて再興された「再興九谷」。

WHERE石川県

加賀 · 加賀市

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概要

五彩の上絵。一度絶えて再興された「再興九谷」。

解説

九谷焼(くたにやき)は、石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される。白い磁気の肌に豪華で美しい色絵を描いた磁器である。五彩手(通称「九谷五彩」)とい色鮮やかな上絵付けが特徴である。また固くて丈夫である。 江戸時代、加賀藩支藩である大聖寺藩領の九谷村(現在の石川県加賀市)で良質の陶石が発見されたのを機に、藩士の後藤才次郎を有田へ技能の習得に赴かせ、帰藩後の明暦初期(1655年頃)、藩の殖産政策として始められたとされる。しかし、約半世紀後の元禄末期(1700年代初頭)に突然、廃窯となる。廃窯の理由は諸説あり、判然としていない。この頃に作られたものを「古九谷(こくたに)」と呼ぶ。 窯跡は加賀市山中温泉九谷町に、「1号窯」「2号窯」と呼ばれる2つが残る。しかし、研究が進むにつれて産地は有田であった事が判明しつつあり、現在では「古九谷様式」あるいは「初期色絵」とも称される。いまだに謎が多いとして九谷焼の本場ではこの説を認めない人が多い。 廃窯から約1世紀後の文化4年(1807年)、加賀藩が京都から青木木米を招き、金沢の春日山(現在の金沢市山の上町)に春日山窯を開かせたのを皮切りに、数々の窯が加賀地方一帯に立った。これらの窯の製品を「再興九谷」と呼ぶ。同じ頃、能美郡の花坂山(現在の小松市八幡)で新たな陶石が発見され、今日までの主要な採石場となった。これらの隆盛を受け、それまで陶磁器を他国から買い入れていた加賀藩では、文政2年(1819年)に磁器を、翌年に陶器をそれぞれ移入禁止にした。 春日山窯(文化4年 1807年) 若杉窯(文化8年 1811年) 小野窯(文政2年 1819年) 民山窯(文政5年 1822年) 吉田屋窯(文政7年 1824年) 木崎窯(天保2年 1831年) 宮本屋窯(天保3年 1832年) 蓮代寺窯(弘化4年 1847年) 松山窯(嘉永元年 1848年) 春日山窯は京風、若杉窯は有田風、吉田屋窯は古九谷風を得意とした。春日山窯開窯以前の天明年間に、ほぼ同じ場所で越中国(現在の富山県)城端の焼物師であった殿村屋和助が窯を開いていた記録があるが、どのような焼物であったのかは判っていない。 九谷焼中興の祖と呼ばれる九谷庄三(くたに しょうざ、文化13年(1816年) - 明治16年(1883年))は、寺井村(現:能美市寺井町)の農家に生まれた。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建・開業:1655年

出典 ja.wikipedia.org ↗

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