VILLAGE通信 vol.9 栃木県
益子焼、土の手ざわりを残す民藝の器
関東編の2回目は栃木県です。前回の結城紬は栃木県小山市も産地の一つでしたが、今回は栃木県ならではの焼き物、益子焼を訪ねます。厚手で素朴な器は、実は海の向こうの工房とも深くつながっています。
笠間で学んだ陶工が築いた窯
栃木県の資料によると、益子焼は江戸時代末期、笠間で修業した大塚啓三郎が窯を築いたことに始まるといわれます。その年は嘉永6年(1853年)。益子の大津沢で良い土を見つけ、農業のかたわら焼き物を始めたと伝えられます。茨城県の笠間と益子は、山を挟んだ隣同士です。
益子の陶土は砂気が多く粘りが少ないため、器はぽってりとした厚手になります。そこに柿釉(かきゆう)や並白釉(なみじろゆう)といった益子独自の釉薬を掛け、土の手ざわりを残した日用の器が作られてきました。当初は水がめやすり鉢、土瓶などの台所道具が中心でした。
セントアイヴスから益子へ
益子焼の名を広めたのが陶芸家の濱田庄司です。1920年、濱田は英国の陶芸家バーナード・リーチとともにイングランド南西端の港町セントアイヴスへ渡り、西洋で最初とされる東洋式の登り窯を築いて作陶しました。1923年に帰国した濱田は、翌1924年に益子へ移り住み、暮らしの中で使われる器づくりを続けます。
濱田は柳宗悅らと民藝運動を進め、のちに人間国宝となりました。1977年には自邸に益子参考館(現・濱田庄司記念益子参考館)を開き、作陶の手本とした世界各地の品々を公開しています。益子とセントアイヴスの交流は、100年を経た今も続いています。
伝統的工芸品の指定と陶器市
益子焼は1979年(昭和54年)8月3日に国の伝統的工芸品に指定されました。益子町の陶器市は1966年(昭和41年)に始まり、例年、春のゴールデンウィークと秋の11月3日前後に開かれます。約50の販売店に加え、800を超えるテントが並ぶ、町を挙げての行事です。
要点
・嘉永6年(1853年)、笠間で修業した大塚啓三郎が窯を築いたのが始まりとされる
・砂気の多い陶土による厚手の器と、柿釉・並白釉などの釉薬が特徴
・英国で作陶した濱田庄司が1924年に移住し、民藝の器として知られるように
・1979年8月3日に国の伝統的工芸品に指定
前回は関東編の幕開けとして、茨城県の結城紬を取り上げました。VILLAGE通信 vol.8 茨城県はこちら。
参考:栃木県、栃木県総合教育センター、益子町、益子町観光協会、伝統的工芸品産業振興協会
——Value Village編集部