概要
福井藩主の別邸。座敷を水面ぎりぎりに置き、畳に座ると池が視界いっぱいに広がる。国の名勝。
解説
養浩館庭園(ようこうかんていえん)は、福井県福井市宝永3丁目にある日本庭園(大名庭園)。国の名勝に指定されている。 養浩館庭園は福井市の中心部にあり、福井城本丸の北約400メートルの場所に位置している。 1922年(大正11年)、敷地内に宝永小学校が建てられた。1945年(昭和20年)7月19日の福井空襲で建物は焼失している。戦後の1947年(昭和22年)には宝永小学校が他所に移転し、跡地には福井市営テニスコートや1950年(昭和25年)から福井県立図書館が存在した。福井県立図書館は1981年(昭和56年)に福井市城東に移転し、2003年(平成15年)に現在地の福井市下馬町に移転している。 2004年(平成16年)には、足羽山から隣接地に新築移転となった福井市立郷土歴史博物館とともに、お泉水公園など周辺の整備が完了した。 米国の日本庭園専門雑誌『数寄屋リビング(ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング)』が毎年行っている日本庭園ランキングには、2006年以来登場している。2008年から2010年にかけては3年連続で第3位に選ばれるなど、高い評価がなされている。 現在の養浩館庭園の原型にあたるものは、江戸時代に福井藩主松平家の別邸として「御泉水(せんすい)屋敷」「泉水第」(せんすいだい)と呼ばれていた。 資料上、確認できる最も古い記述では、1656年(明暦2年)に藩主松平光通の側室が、ここで子息(権蔵、のちの松平直堅)を産んだとされ、遅くともこの頃には御泉水屋敷が存在していた。 現在の規模の建物と回遊式林泉庭園が完成したのは1699年(元禄12年)で、その後拡大と縮小を繰り返した。1708年(宝永5年)、藩主松平吉品が御泉水屋敷を改築し、同時に自らの隠居屋敷として敷地を増設した上で新建造物を増築したが、吉品死後に増築部分は縮小されたとされている。 1865年(慶応元)6月21日には、前藩主松平春嶽と夫人勇姫が「御泉水屋邸」に入り「月見御座敷」で食事をとったのち、ともに庭園を逍遥したことが記されている。その後に隣接する家老本多修理邸も訪れており、この日のようすを詠んだ漢詩文が残されている。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:17世紀 代表作・所蔵:水面すれすれの座敷、舟入り ジャンル:建築
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