概要
明治の共同浴場を、当時の図面から復元した。壁に九谷焼のタイルを貼り、窓にステンドグラスを入れる。
解説
山代温泉(やましろおんせん)は、石川県加賀市(旧国加賀国)にある温泉地。 加賀温泉郷の一つであり、同じくして粟津温泉、山中温泉、片山津温泉を含めた北陸最大級の石川県有数の温泉街である。 所在地である加賀市には山代温泉という町名がある。 ナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉・塩化物泉 カルシウム・ナトリウム-硫酸塩泉 北陸3県を代表する温泉街のひとつである。 江戸時代の山代温泉は、「総湯」と呼ばれる共同浴場を中心として町が作られていた。「総湯」の周囲に温泉宿が立ち並び、湯治客は「総湯」に通ったり、ときには自然の中を散策しながら長逗留していた。「総湯」を中心とした周囲の街並みを「湯の曲輪」(ゆのがわ)といい、北陸特有の呼び方となっている。 近世の山代温泉には古九谷を再興した吉田屋窯が置かれた。吉田屋窯の流れを汲む観光施設として国指定史跡の九谷焼窯跡展示館がある。交流施設としてはづちを楽堂がある。 725年(神亀2年)、泰澄から白山権現の由来を聞いた行基が、白山からの帰路に羽を休める八咫烏(やたガラス)を見つけ、手を浸したところ温泉を発見したという開湯伝説がある。 平安時代末期には、明覚上人によって薬王院温泉寺の七堂伽藍が建立され、山代温泉は大いに賑わったとされる。明覚は薬師如来が祀られている温泉寺の基礎を築いたとされる。温泉寺の境内には「めかくしさん」とよばれる明覚上人供養の石造五輪塔(室町時代、国の重要文化財)があり、現在は祠が建てられている。 戦国時代には明智光秀が訪れ、10日間の湯治で傷を癒したとされる。 山代温泉は共同浴場(惣湯)の四周に温泉旅館があり、更にその南側に農家や商家が取り囲む空間構造を持っていた。18世紀には約18軒の旅館があり、以後戦後まで基本的にこうした街構成が続いた。 明治時代には多くの文化人に愛され、芸術家の北大路魯山人、詩人の与謝野晶子などが山代温泉を訪れた。北大路魯山人が半年間滞在した別荘は、「魯山人寓居跡いろは草庵」という施設となっている。 戦後は1962年(昭和37年)3月に国道8号の舗装2車線化が完成、1964年(昭和39年)12月25日に国鉄北陸本線(現・ハピラインふくい、IRいしかわ鉄道)が複線電化されたことに伴い、関西・中京の奥座敷として発展する。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:2010年 代表作・所蔵:明治期の総湯を復元、九谷焼のタイルとステンドグラス ジャンル:建築、工芸・陶芸
出典 ja.wikipedia.org ↗公式サイト
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