本文へ移動
日本国内の地域・文化・観光資料 / 営業日や料金などは掲載元の最新情報をご確認ください。

Value Village

繁多寺

愛媛県 · 松山市 · 神社・寺

Hantaji / 繁多寺

この資料を保存・計画
地図で見る →AI旅程を考える
繁多寺
写真:Dokudami / CC BY-SA 4.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO繁多寺

一遍上人が修行した。松山平野を見下ろす。

WHERE愛媛県

中予 · 松山市

CHECK BEFORE YOU GO訪問前に確認

営業日、料金、予約、撮影可否、季節条件は公式情報で確認してください。

Instagram で見る

この場所の名前のハッシュタグ。押すと Instagram のタグ一覧が新しいタブで開きます。

概要

一遍上人が修行した。松山平野を見下ろす。

解説

繁多寺(はんたじ)は、愛媛県松山市畑寺町にある真言宗豊山派の寺院。東山(ひがしやま)、瑠璃光院(るりこういん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第五十番札所。 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか ご詠歌:よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ 松山市を見下ろす淡路ヶ峠の中腹にあり、山門の前や境内西側には溜め池があり、西側や南側への展望が素晴らしく、松山城や瀬戸内海までが俯瞰でき背後には鬱蒼とした樹木が繁る。境内周辺は景観樹林保護地域に指定されており、サクラ、藤、秋の紅葉の名所でもある。真言宗豊山派ということで青銅製の興教行大師像が大師堂の前にいる。 寺伝によれば天平勝宝年間、孝謙天皇の勅願により行基が開基し、孝謙天皇の勅願所となったという。その際行基が坐高三尺の如来像を彫り、本尊として、光明寺と号したが、弘仁年間に空海(弘法大師)が留まって修行し現存の山号、寺号である東山繁多寺に改称したという。 一時後衰退するが、源頼義により再興され、弘安2年(1279年)には後宇多天皇のために聞月上人が、祈祷を行なっている。また、一遍上人も当寺で学問修行したと伝えられる。上人は後に「捨聖」として遊行し、正応元年(1288年)亡き父である如仏を偲び三部経を奉納している。 応永元年(1394年)には京都泉涌寺26世快翁師が後小松天皇の命を受け繁多寺第7世の住職に就き、以降天和年間(1681年 – 1684年)の寵湖など高僧が相継いで住職となるが、寵湖は徳川家の帰依を得ることとなり、4代将軍家綱の念持仏三体の一つである歓喜天を祀られることとなった。将軍家の帰依を得たことで寺は一時は隆盛をきわめ66坊と末寺100余という大寺となる。 本堂:前殿に後殿を増築し奥に広くなった構造で、非公開の薬師如来坐像と両脇仏は日光月光菩薩、向かって左脇陣には地蔵菩薩半跏像が見える。 大師堂:センサーで参拝者が来ると大師像がライトアップされる。向かって左脇には中興の祖・聞月上人像。 鐘楼:元禄9年(1696年)に信者の寄進による梵鐘で、天井絵には中国の二十四孝をモチーフに描かれている。 歓喜天堂:4代将軍家綱の念持仏三体の一つである歓喜天(絶対秘仏)が祀られ、厄除けや商売繁盛、合格祈願などの参拝者が多い。平成18年(2006年)再建。 地蔵堂:小さな堂、石仏が6体。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建:天平期(伝) 社格:四国八十八ヶ所 第五十番 ご利益:学問

出典 ja.wikipedia.org ↗

旅の前に知っておくこと

世界の質問箱から、この資料に関係する疑問を3つ。

みんなの投稿

行った人・住んでいる人からの訂正・体験談・営業時間・翻訳。確認のうえ掲載しています。

この場所について投稿する →

同じ県の神社・寺

この分類をすべて見る

訪問前の確認・参考資料

原資料を掲載しています。営業時間、見学可否、料金、交通は最新の公式情報で確認してください。

この県の工芸・名品

工芸・ものづくり特産品・お土産

この記述はValue Villageが公開情報をもとに自分で書き起こしたものです。転載はしていません。 対応言語:ja / en / zh

愛媛県の Instagram 投稿(公式アカウントより)

この場所に結びついた投稿はまだありません。県の公式アカウントの投稿を毎分入れ替えて表示しています。