概要
常陸大宮市と栃木県那珂川町の県境に建つ神社。本殿の中心を県境が通る。
解説
鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ、とりのこさんじょうじんじゃ)は、栃木県那須郡那珂川町と茨城県常陸大宮市の境界に鎮座する神社。 参道や本殿の中央部を県境が貫いており、境内には栃木・茨城両県の社務所があり、宮司もそれぞれ奉職している。 主祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)であり、フクロウの神社として信仰を集めている。境内の面積は鷲子山一帯の約22haで、うち2haは原生林である。 大同2年(807年)に矢又村(現・栃木県那須郡那珂川町矢又)の大蔵坊宝珠上人が阿波国から天日鷲命を勧請したのが鷲子山上神社の始まりであるとされる。当時の社名は「鷲権現」であったが後に鷲子山上神社に改称した。また創建の地は朝日岳(朝日嶽、境内にある本宮神社の位置)であった。地元の伝承では、製紙に成功したため製紙の神である天日鷲命を祀ったという。山麓の常陸大宮市鷲子では製紙業が盛んであったようであり、「鷲子」という地名は天日鷲命に由来するという説がある。 天長5年(828年)、疫病の流行のため、平癒を願い大己貴命と少彦名命を合祀した。この頃の信仰圏は広く、常陸国・下野国・陸奥国に及んだとされる。八溝山地は修験道の修行場として名高く、八溝山地の中でもひときわ高い山である鷲子山は修験者から霊山として崇められ、神社は厚い信仰を集めた。建久8年(1197年)には源頼朝が社殿を再建し修理料の名目で15貫文を贈った。息子の源実朝も建保2年(1214年)に銭を献納している。南北朝時代には佐竹貞義の弟である佐竹義高が「鷲子別当」と称され、この地域に権勢を振るっていた。現存する最古の棟札は天文21年12月3日(ユリウス暦:1552年12月18日)のものであり、常陸国側の領主である江戸右近大夫通有と下野国側の領主である武茂守綱が協力して本殿を復興したと記されている。同年、火災により鷲子山頂に移転したとされる。天正15年(1587年)には佐竹義胤から25町歩の寄進を受けた。 慶安元年10月24日(グレゴリオ暦:1648年12月8日)、徳川家光は常陸国鷲子村(現・常陸大宮市鷲子)の10石と下野国矢又村(現・那珂川町矢又)の10石の合わせて20石の朱印地、100石の除地を認めた。江戸時代は鷲子山上神社の朱印地であった常陸国鷲子村と下野国矢又村の鎮守とされた。
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