概要
尾花沢市の銀山跡。室町期から掘られ、江戸期を代表する銀山のひとつだった。
解説
延沢銀山(のべさわぎんざん)は、かつて出羽国(現在の山形県尾花沢市)にあった銀山。室町時代から何度かの休止期を挟んで採掘されたが、1671年頃には操業が著しく衰退し、1689年に廃坑となった。現在は延沢銀山遺跡として国指定史跡となっている。 室町時代の後花園天皇のとき、康正2年(1456年)、加賀国の金沢を出発して奥州から出羽にかけて名山巡礼した儀賀市郎左衛門が、かつての軽井沢峠(現在の出羽峠)の白山神社に宿したところ、お告げで鉱石を発見したと伝えられる。儀賀市郎左衛門は、その鉱石を携えて但馬国へ赴き、生野銀山の作兵衛に鉱石の鑑定を依頼したところ、銀が含まれていることが判明した。長禄元年(1457年)、儀賀市郎左衛門と作兵衛の2人が、30人の鉱夫を集めて採掘を開始したことが銀山の開坑とされている。当時の採掘は現在の銀山ダム近く、温泉街南側の西山地区で行われた。採掘開始後、銀山の集落はみるみるうちに増大し1600軒の家が立ち並ぶまでになったが、その後採掘は休止され1572年まで70年間は廃坑となった。 室町時代末期の元亀年間(1570年-)に延澤満定が銀山から約二里の地に延澤城を築き、この地方一帯とともに銀山を治めた。天正2年(1574年)、延沢能登守により上の畑に関所が設けられる。延澤氏は最上義光と対立したが、天正5年(1577年)に和睦して、最上義光の娘であった松尾姫を嫁に迎えた。これによって銀山に再び人があつまり採掘が再開される。銀山の収益は最上氏を支えた資金の一部ともなった。(天正年中)山形両所宮々司須留守(二万石)が最上義光調伏祈願の罪によって銀山岩薬師に流される。天正15年、能登守が死去し、遠江守が跡を継承する。天正年間に正楽寺が建築される。 慶長(年不詳)、大阪より梁田八郎右ェ門が、堺から十兵衛が銀山に来る。この時期に初代の小関吉佐衛門が両替商を始めた。また温泉が発見され、その利用が始まった(1596年-1614年)。 江戸時代初期の元和8年(1622年)に、最上氏は家中の内紛を理由に幕命で改易され、山形城を拝領した鳥居忠政に延沢銀山の所轄も移行した。1634年には銀山は幕府の直轄となった。徳川幕府が鉱山採掘を推奨したことから、鳥居忠政は西山地区に新たな坑道を開いて採掘規模を拡大させた。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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