本文へ移動
日本国内の地域・文化・観光資料 / 営業日や料金などは掲載元の最新情報をご確認ください。

Value Village

越前大野城と城下町

福井県 · 大野市 · 建築

Ono Castle Town / 越前大野城と城下町

この資料を保存・計画
地図で見る →AI旅程を考える
越前大野城と城下町
写真:Keisuke MAEDA / CC BY-SA 4.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO越前大野城と城下町

標高249メートルの山頂に建つ。秋に雲海が出ると天守だけが浮かんで見える。城下は碁盤目の町割りが残る。

WHERE福井県

嶺北 · 大野市

CHECK BEFORE YOU GO訪問前に確認

営業日、料金、予約、撮影可否、季節条件は公式情報で確認してください。

Instagram で見る

この場所の名前のハッシュタグ。押すと Instagram のタグ一覧が新しいタブで開きます。

概要

標高249メートルの山頂に建つ。秋に雲海が出ると天守だけが浮かんで見える。城下は碁盤目の町割りが残る。

解説

大野城(おおのじょう)は、福井県大野市(旧越前国)にあった日本の城。旧国名から越前大野城の別名を持つ。明治までは大野藩の藩庁が置かれた。現在の天守は昭和に建てられたものである。 2017年(平成29年)、「続日本100名城」(138番)に選定された。 1575年(天正3年)、織田信長より越前一向一揆を平定した恩賞として越前国大野郡の内の3万石を与えられた金森長近が、その翌年(1576年)、最初に居城とした戌山城の近くの亀山(大野盆地の小孤峰)に城郭を築き始めたのが、越前大野城の始まりである 築城に4年間を要し1580年(天正8年)に竣工した。 その後、青木一矩時代を経て織田信雄の嫡男織田秀雄が城主を務めた。 秀雄は、豊臣秀吉の推挙により朝廷から参議に任命され大野宰相と称された。 関ケ原の戦いで秀雄は西軍につき除封され結城秀康が越前一国の国主として入国し大野には重臣が配された。 江戸時代に入ると越前松平家が3代続いた後天領となり、土井氏で定着するまで目まぐるしく城主が替わった。 城は1775年(安永4年)に焼失し、1795年(寛政7年)には天守を除いて再建されたが、 1858年(安政5年)、地震により櫓、石垣が大破。明治維新後に破却されている。 昭和に再建された越前大野城は、竹田城(兵庫県朝来市)、備中松山城(岡山県高梁市)と並び、城(城跡)が雲海に浮かぶ「天空の城」の異名がある。毎年10月から4月の特定の気象条件がそろうことで「天空の城」となるが、1年間で10日前後しか見られない風景となっている。 山頂の石垣および堀が現存し、山麓部にも内堀および外堀の一部が残る。建造物としては、不明門が市内中丁真乗寺山門として櫓門であった鳩門の門部分が光明寺山門とし、それぞれ移築され現存する。また、8代利忠の隠居所が柳廼社社務所として移築現存する。 天守は、亀山の山頂にある天守曲輪に建てられた。本来は大天守望楼型2重3階・小天守2重2階、天狗の間(天狗書院)と呼ばれた付櫓(天狗櫓)が付属された、複合連結式の天守であった。 1775年(安永4年)5月7日(旧暦では4月8日)に城下町南側で発生した火事で、城下町では1600軒の民家や寺院、蔵などが焼失。この火事で大野城の天守も焼失した。2人が死亡し、被災者は3600人以上で、火元となった農民の名から「太郎兵衛火事」と呼ばれている。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建・開館:1580年 代表作・所蔵:雲海に浮かぶ天守、碁盤目の町割り ジャンル:建築

出典 ja.wikipedia.org ↗

公式サイト

最新の営業時間・料金・休業日は公式サイトで確認してください。

公式サイトを開く ↗

出典 onocastle.net ↗

旅の前に知っておくこと

世界の質問箱から、この資料に関係する疑問を3つ。

同じ県の建築

この分類をすべて見る

訪問前の確認・参考資料

原資料を掲載しています。営業時間、見学可否、料金、交通は最新の公式情報で確認してください。

この県の工芸・名品

工芸・ものづくり特産品・お土産

この記述はValue Villageが公開情報をもとに自分で書き起こしたものです。転載はしていません。 対応言語:ja / en

福井県の Instagram 投稿(公式アカウントより)

この場所に結びついた投稿はまだありません。県の公式アカウントの投稿を毎分入れ替えて表示しています。