概要
1576年に柴田勝家の甥・勝豊が築いた。現存12天守のひとつ。
解説
丸岡城(まるおかじょう)は、福井県坂井市丸岡町霞にあった日本の城。別名霞ヶ城。江戸時代には丸岡藩の藩庁であった。現存12天守の一つ。史跡未指定。 福井平野丸岡市街地の東に位置する小高い独立した丘陵に築かれた平山城である。近世に山麓部分が増築され、周囲に五角形の内堀が廻らされていた。江戸時代に建造された天守は重要文化財に指定されている。その他、石垣が現存している。 移築現存する建物として、興善寺(石川県小松市)および、蓮正寺(福井県あわら市)に、それぞれ城門、丸岡町野中山王の民家に、不明門と伝わる城門がある。ほかに土塀が現存する。遺構と伝わる城門については2016年(平成28年)から2017年(平成29年)にかけて福井工業大学ほか多米研究室学生等にて調査が行われた。五角形の内堀は現在埋め立てられているが、この内堀を復元する計画が浮上している。 「霞ヶ城」の名の由来は、合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説による。 地元の坂井市では2015年(平成27年)、国宝化を目指し丸岡城国宝化推進室を設置した。 2019年3月26日、坂井市から委嘱を受けて調査を行っていた丸岡城調査研究委員会は、現存する天守が建造された時期を江戸時代の寛永年間(1624年-1644年)と推定する報告を明らかにした。また、不明門、内長畝口門、大手門、搦手門、櫓、二の丸御殿の木造復元計画と内堀の復元計画がある。 2023年11月25日、歴史的な風情を生かしたまちづくりに向け、年度内に国から認定を受けようと準備している「歴史的風致維持向上計画」の素案に盛り込んだ。計画には具体的な15事業が明記してあり、城山の整備はその一つに位置付けられている。また、歴史的風致維持向上計画「歴史まちづくり法」に基づき市町村が計画を作成し、国が認定する。認定を受ければ、丸岡城のおける歴史的建造物の買い取りや修理などに関し、国の支援が手厚くなる。市教委は、学識経験者らでつくる委員会を設置し、24年度に城山整備の構想を策定する。25、26年度の2年かけて整備計画を立て、27年度から発掘調査に入っていく予定としている。 1575年(天正3年):織田信長が一向一揆を制圧し、柴田勝家の甥である柴田勝豊に豊原城(現:坂井市丸岡町豊原)を与える。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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