
【VILLAGE通信 vol.32】銅器の9割は、この町から
富山県
富山県の国指定は高岡銅器、高岡漆器、井波彫刻、庄川挽物木地、越中和紙、越中福岡の菅笠の6品目です。
お寺の鐘も、銅像も
高岡銅器は、国内の銅器生産のおよそ9割を占めるとされます。寺の梵鐘、公園の銅像、仏具、花器。目にしている銅の鋳物の多くが、この町から出ています。
始まりは1611年(慶長16年)。加賀藩二代・前田利長が、高岡の町をひらくときに7人の鋳物師を呼び寄せたとされます。
前号(vol.31)で、加賀藩が工芸に投資しつづけたと書きました。高岡もその政策の一部です。石川と富山は、もとは同じ藩の領域でした。
県境で切ると別々に見えますが、工芸の地図は藩の地図に近い。この連載を書いていて、何度も感じることです。
最初は、鍋と鋤だった
高岡の鋳物は、はじめから美術品だったわけではありません。
最初につくられたのは鍋、釜、鋤、鍬——農具と日用品です。
そこから、江戸後期に仏具や花器などの「唐金物(からかねもの)」へ広がり、明治期の万国博覧会への出品で海外にも知られるようになりました。
高知の土佐打刃物(vol.17)は刀から山の道具へ、大阪の堺(vol.23)は刀から厨房へ移りました。高岡は、農具から美術へ上がっています。方向が逆です。
欄間を、彫る
井波彫刻は、寺の再建がきっかけで生まれました。
18世紀、瑞泉寺の再建に京都から御用彫刻師が入り、その技術を地元の大工が受け継いだとされます。
いまは欄間——和室の鴨居の上にはめる透かし彫りの板——が代表作です。一枚の板の裏表から彫り抜き、両面から違う絵に見えるものもあります。
大阪欄間(vol.23)も国指定です。欄間の産地が二つあるのは、日本の家に鴨居があったからです。住まいの形が、そのまま工芸の種類を決めています。
木を、回して削る
庄川挽物木地は、ろくろで木を挽いて器の形をつくる仕事です。
ここで大事なのは、庄川が「木地」で指定を受けていることです。塗る前の、白木の段階までが工芸として認められている。
三重の伊勢形紙(vol.20)が「用具」で指定されたのと、考え方が似ています。完成品でなくても、そこに技術があれば残す。
長野の南木曽ろくろ細工(vol.28)も挽物でした。山の県には、木を回す産地があります。
よくある質問
Q. 高岡銅器と南部鉄器(岩手)は何が違いますか。
A. 素材が違います。高岡は銅合金(青銅・黄銅など)、南部は鉄です。用途も、高岡は仏具・花器・銅像が中心、南部は鉄瓶など日用品が中心です。南部鉄器はvol.44で取り上げます。
次号は新潟へ。17品目という多さの県です。
参考:富山県、高岡市、南砺市、砺波市、伝統的工芸品産業振興協会
——Value Village編集部
写真:野路耿一/CC BY-SA 3.0(Wikimedia Commons)




